メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

『日本書紀』後の歴代天皇(71代〜74代) 

2020年05月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



『日本書紀』後の歴代天皇(71代〜74代)

第71代後三条天皇
 ☆後三条天皇は、宇多天皇以来となる藤原氏を外戚としない天皇
 *学者を起用して親政を行ない、荘園整理令を発布
 *公正な整理だったので「延久の善政」と称えらた
 ☆在位4年で子の白河天皇に譲位し翌年に崩御した
第72代白河天皇
 ☆3代43年にわたって院政を執り行う
 ☆父の後三条天皇同様に親政を行う
 *荘園の整理などに取り組んだ
 ☆白河天皇の院政
 *第2皇子の善仁親王(堀河天皇)に譲位
 *譲位後も政治の実権は手放さず
 *寺社勢力の台頭など社会情勢が変動
 *政治手腕に長けた白河上皇が頼られる
 *堀河天皇崩御し、孫で5歳の鳥羽天皇が即位
 *院の政治機関として院庁を置いた
 ☆白河上皇、仏教を篤く信仰し白河法皇となった
 ☆白河法皇、院独自の軍事組織として北面の武士を創設
 ☆ここから源氏や平氏といった武家が飛躍した
第73代堀河天皇
 ☆即位当初は関白の藤原父子が政務をとった
 *藤原師通が亡くなる
 *父の白河法皇が政治の実権を握って院政を開始した
 ☆院政が始まると趣味の世界に興味が移る
 ☆音楽や和歌などの世界で才能を発揮した
第74代鳥羽天皇
 ☆幼くして即位した鳥羽天皇、自ら政務を執ることができず
 ☆白河法皇が引き続き院政を行う
 ☆21歳で、皇子の崇徳天皇に譲位した
 *政治の実権は白河法皇が握り続けた
 ☆法皇が崩御すると、鳥羽上皇が院政を開始する
 ☆鳥羽上皇は、美福門院得子を寵愛した
 ☆崇徳天皇を退位させ、得子が産んだ近衛天皇を即位させた
 ☆鳥羽上皇は、東大寺戒壇院で受戒し、出家して法皇となった
 ☆崇徳の不満は高まり、保元の乱の遠因となった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書紀』と天皇126代』


『日本書紀』後の歴代天皇(71代〜74代)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ