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『日本書紀』後の歴代天皇(60代〜65代) 

2020年04月26日 外部ブログ記事
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『日本書紀』後の歴代天皇(60代〜65代)

第60代醍醐天皇
 ☆醍醐天皇は、「延喜の治」に取り組むも菅原道真の怨霊に苦しむ
 *藤原時平を左大臣、菅原道真を右大臣に任じて政務を任せた
 ☆醍醐天皇の治世中は摂政、関白が置かず、「延喜の治」と呼ばれる
 ☆荘園整理令施行、『古今和歌集』の撰進を紀貫之らに命じている
 ☆晩年は菅原道真の怨霊に悩まされた
 *清涼殿落雷事件が起き、人々は道真の崇りと噂した
 *天皇は体調を崩し、その年に亡くなった
第61代朱雀天皇
 ☆藤原時平の弟・忠平が摂関職につき政治を補佐した
 ☆治世中には承平、天慶の乱が発生
 ☆富士山の噴火や地震などの災害が相次いだ
 ☆病弱で、弟の村上天皇に譲位し30歳で崩御
第62代村上天皇
 ☆藤原忠平が亡くなったあとは摂関を置かず
 ☆天皇親政に取り組んだ
 ☆財政を再建するために租税の確保や倹約を行う
 ☆文化事業の発展にも力を尽くした
 ☆村上天皇の治績は「天暦の治」と呼ばれる
 ☆理想の政治のモデルケースとなった
 ☆実際に政治を動かしたのは左大臣の藤原実頼
第63代冷泉天皇
 ☆奇行が多く、即位式を人目のつきにくい紫農殿で執り行った
 *天皇の奇行が外にさらけ出されるのを防ぐ狙いがあった
 ☆冷泉天皇は在位わずか3年、上皇として42年間過ごした
第64代円融天皇
 ☆兄・冷泉天皇からの譲位を受けて即位
 ☆藤原実頼が摂政に就任
 ☆藤原氏のなかで摂関職をめぐる争いが起こるようになる
 *自分の娘を天皇に入内させて権勢を高める行為
 ☆藤原兼家は、娘を円融天皇に嫁がせる
 *生まれた子が即位し、天皇の外祖父の地位を得た
第65代花山天皇
 ☆花山天皇は冷泉天皇の第1皇子で17歳で即位した
 ☆摂政の地位を狙う藤原兼家の陰謀で出家
 ☆在位わずか2年で退位に追い込まれた
 ☆法皇となったあとは西国の寺院を巡礼
 *「西国三十三所巡礼」として現在も受け継がれている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書紀』と天皇126代』


『日本書紀』後の歴代天皇(60代〜65代)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)

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