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平成の虚無僧一路の日記

先祖探しの旅  笙の名人「新羅三郎義光」とは 

2020年04月26日 外部ブログ記事
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牧原の祖は「武田の一族」でした。武田の始祖は「新羅(しんら)三郎義光」です。清和源氏の祖「源頼義」に3人の子がおりました。
長男が「八幡太郎義家」
次男が「賀茂次郎義綱」
三男が「新羅三郎義光」。

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それぞれ、義家は「石清水八幡宮」で、次男義綱は「賀茂神社」で、三男義光は「大津園城寺(三井寺)新羅大明神」で元服したことにちなんでの神号名です。長男「義家」は、「義朝とその子頼朝、義経」の祖先。三男「義光」は「武田」「佐竹」「南部」「小笠原」氏の祖で、その武田の一族に「牧原」もいました。
武田太郎信義から五世の孫「時信」の子「八郎貞家」が「牧原の祖」です。
新羅三郎義光は、弓馬の術にたけ、また「笙」を吹いたことで「文武両道」の士とされています。柔道・合気道の元となった「大東流合気柔術」では「義光」を開祖としています。

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(余談)                                                             この「大東流合気柔術」の開祖「武田惣角」に合気を教えた                               「佐藤忠孝」の妻は「牧原一郎」の娘「やお」でした。
また、流鏑馬、弓術、馬術、礼法の流派である小笠原流や武田の軍学、兵法なども「義光」を祖としています。韓国では「新羅義光を 日本に雅楽や武術を伝えた新羅(しらぎ)人の子孫」と言っているそうです。
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では「義光」が元服式を挙げた「大津園城寺(三井寺)の新羅大明神」とは何か?。園城寺(三井寺)は、壬申の乱で敗れた「大友皇子」の菩提を弔うために、勝者の「天武天皇(大海人皇子)」が建てた寺でした。創建は686年。そこで最近、壬申の乱は、「百済派=天智の子大友と、新羅派=天武との戦い」だったという説が浮上してきています。やがて、200年の歳月が経ち、園城寺も衰退していたのを、智証大師「円珍」が再興。この「円珍」が唐へ留学の帰途、嵐に遭い、そこへ「新羅の神」が現れて救われたことから三井寺の守り神として「新羅明神」を祀ったとも。「義光」が、その「新羅明神」で元服式を挙げたのは、いかなる理由なのか。たまたま、そこで、だったのか。朝鮮半島とのつながりがあったのかは不明です。
なお、新羅三郎義光の墓は墓所は、義光が元服の儀式を執り行った新羅善神堂の裏手にある。?

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