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平成の虚無僧一路の日記

法隆寺を建てたのは誰? 

2020年04月24日 外部ブログ記事
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4/12(土)19:30 NHK「ぶらタモリ」は 奈良の法隆寺。
4月から新しくアシスタントとなった浅野里香アナ(26)。オープニングで タモリから「法隆寺は誰が建てたか?」と問われて「・・・・・」。答えられない。「大工さん」とか「たくさんの人」と。しばしタモリも無言。
法隆寺を取材するなら少しは事前に知識を得ていくのが仕事だろうに。これにはスタッフも私も唖然。
「法隆寺」といえば「聖徳太子」。
あきれて見ていたが、番組が進むにつれて。そうだった。法隆寺は当初聖徳太子によって建てられたが、後に火災に遭って焼滅し、後に再建されているのだ。
日本書紀の670年4月30日の条に「法隆寺災あり一屋も余すことなし」と記されている。そして「和銅年間」(708〜714年)に「法隆寺を造る」という記録がある。1939年には現在の西院伽藍の南東部から火災に遭ったとみられる伽藍跡(若草伽藍)が発掘調査で見つかり、この若草伽藍が聖徳太子時代の法隆寺と思われる。
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さて、再建されたとなると、当初のタモリの質問「法隆寺は誰が建てた?」に対して「聖徳太子」は不正解となる。
浅野里香アナの「誰が建てたかわからない」は正解だったのだ。
日本書紀は720年に完成された。そして、その50年前の「670年に焼け落ち、708〜714年にかけて再建された」というのは、かなり近い年代の事であり、信ぴょう性は高い。
それでは、誰が何のために再建したのか?この答えは未だ出ていない。
聖徳太子は622年に亡くなり、その子山背大兄王はじめ上宮家と呼ばれる一族は、643年蘇我入鹿によって滅ぼされた。
その蘇我入鹿は645年 中大兄皇子と中臣鎌足によって殺される。そして大化改新を経、710年聖武天皇によって奈良の都が成立する。まさに法隆寺は奈良に都が置かれた前後に、斑鳩の地に建てられた。何のために。
それは「蘇我入鹿によって滅ぼされた聖徳太子の一族の怨霊を封じ込めるために建てられた」のだ。
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ところで「聖徳太子の予言」というのがある。「楠木正成も見た」という。古来出ては消えるまやかしだが、それには「2030年日本は壊滅する」とのこと。
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