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日本書紀巻22( 推古天皇) 

2020年04月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子による政治が古代日本の礎となった

 ☆推古天皇が即位し、厩戸皇子が摂政に就任
 ☆冠位十二階、17条憲法などを制定

仏教に傾倒した聖徳太子の生涯
 ☆推古天皇の即位後、甥の聖徳太子(厩戸皇子)が皇太子となる
 ☆蘇我馬子とともに天皇を補佐する役割を担った
 *父の用明天皇、母の穴穂部間人皇女も蘇我氏の血を引いていた
 *馬子とり後継者としては申し分がなかった
 ☆当時は譲位という慣例がない
 *推古天皇が長命で、太子は即位しないまま亡くなった
 ☆聖徳太子は仏教に対する造詣が深い
 *摂政就任後は仏教の興隆に力を尽くす
 ☆太子が説いた国を治めるのに最もふさわしい事
 *三宝(仏・法・僧)を敬う事
 *仏教が人々の心のよりどころになること
太子は推古天皇、蘇我馬子とともに三頭政治を展開
 ☆国内体制の整備や遣隋使の派遣などを行って古代日本の礎を築いた
 ☆太子は飛鳥から15km以上離れた斑鳩宮へ移り住んだ
 *これ以降、『日本書紀』に太子が登場する機会は著しく減っていく
 ☆太子が政治に興味を失い、仏教に傾倒したとも考えられる
 *晩年は仏教の注訳書の執筆などに力を注ぐ
古代日本を動かした三頭政治
 ☆太子の死によってバランス関係が崩れていく
 ☆蘇我馬子は天皇家の直轄領葛城県の割譲を望んだ
 *推古天皇に拒まれた
 ☆蘇我氏の権勢はほぼ揺るぎないものになった
 ☆しかし天皇の威厳は引き続き健在だった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書紀』と天皇126代』
















日本書紀巻22( 推古天皇)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)

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