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葵から菊へ
妻がいいねした朝日新聞コラム多事奏論「保育園のお迎えはいつも最後だった」
2020年03月28日
テーマ:テーマ無し
朝日新聞3月25日付「オピニオン」の多事奏論編集員高橋純子「さらりと休校要請した首相 女を、子育てをナメている」を読んだ妻が「働く母親の立場から、安倍総理を厳しく批判している記者がいる。」と褒めていました。管理人は「保育園のお迎えはいつも最後だった」という記述にグッときました。何故ならば長男の保育園時代もお迎えがいつも最後だったからです。
妻は、JR新宿駅西口前にあった富士重工業輸出部(現在会社名はスバルで本社は恵比寿)に勤務していました。勤務時間は午後5時30分まででしたので、新宿立北山伏保育園へ行く時間は、閉園時間ギリギリの6時となっていました。残業の時は管理人が迎えに行きましたが、「○○ちゃん、お迎えですよ。」と園内放送されますので、他の園児は誰もいなくなった最後の呼び出しとなりますので、子供には寂しい思いをさせたなぁと今でも切ない記憶となっています。
北山伏保育園の運動会で(長男二歳)
<文字起こし>
3月11日、わが子に初めて言われた。 「あの日のことだけは、感謝してる」 9年前のあの日。東京・銀座の喫茶店を同僚と出た直後、強い揺れにおそわれ、早足で会社にとって返した。同僚は正面玄関をくぐり、私は立ち止まった。仕事に戻っていいのか? 子どもは当時小学校低学年。災害時には保護者が必ず迎えにくるよう言われていた。その時、そばにタクシーが止まり、人が降りた。よし、乗ろう。 全校生徒が校庭に集められていた。いち早く自分の迎えが来たことに、子どもは驚いたような、ホッとしたような表情を見せた。そうだよね。保育園のお迎えはいつも最後だったし、平日は夕食を共にすることもほとんどないもんね――。取るに足りない小さな小さな思い出話。でも、仕事を投げ出す決断は、私にとっては重く苦しく、いまも後ろめたさを引きずっている。 育児のキツさの根源は「正解」がわからないこと。なのに次々と決断を迫られ、責任を全部背負わなければならないこと。だから、できるだけ多くの選択肢を準備しておく。がまんや不利益を強いる時は、なぜそう決断したのか、根拠をきちんと説明できるよう心がける。そして最後は祈るしかない。想定外、対応不能の突発事案が起きないようにと。だが、はかなき祈りは通じず、先月27日、首相は突然宣言した。 「全ての小中学校、高校、特別支援学校に、来週から臨時休業を要請します」 * 休校要請を知った時、2人の子を持つ同僚は足の力が抜け、下の子と手をつないだまま、その場にストンとへたり込んでしまったという。仕事と育児の両立が難しいのはもとより、いい担任の先生と出会って、子どもの確かな成長を感じて喜んでいたのに、こんな形で断たれてしまうのか、と。 私は不思議で仕方がない。これほど重大な判断を、首相はどうして会議の席で、紙を読み上げるような格好で、さらりと言ってのけることができたのだろうか。すぐに会見を開いて、そう判断するに至った理由を説明し、言葉を尽くして理解と協力を求めたり、疑問に答えたりしようとは考えなかったのだろうか……と、とりあえず疑問形でつづってみたが、実はすっかり腑(ふ)に落ちている。2014年、集団的自衛権の行使容認を表明する首相会見で示された、赤ちゃんを抱く母親に寄り添う子どものイラストを見た時、私は思った。薄っぺらな母子のイメージをこれほど雑に利用してのけるのは、女を、子を、そして子育てを、本当のところはナメているのだろうと。 「断腸の思いだ」。休校要請の翌々日にようやく開いた会見で首相は釈明したが、そんな2日前の日記を読み上げられたところでいったい何になるというのだ。 あの日、多くの親たちが不安と困惑の渦に放り込まれた。経済的、社会的に厳しい立場にある人は、より激しい渦へと。それを「あとは自助努力でよろしく」とばかりに放置した首相は、一国のリーダーとしての資質を欠いていると言わざるを得ない。 * 首相はこの間、国民とのコミュニケーションに明らかに失敗している。下を向いて原稿を読むか、脇のプロンプターを見るか、この期に及んで国民と真正面から向き合っていない。「国難突破解散」だなんてかつては威勢よく危機を「演出」していたのに、本当の国難にあってこの極度の引っ込み思案ぶりたるやどうだ。敵と味方を分かち、異論に耳を傾けず、「身内」を重用し、説明も説得も省いて「数の力」で押し切る、そんな「一強」の構成要素はいま皮肉にも「弱」の要素に反転している。「ワンチーム」なる言葉をあれほど空疎に響かせられるリーダーもそういないだろう。 鼻と口はマスクで覆いつつ、目を見開いてよくよく注視していこう。危機に際してこの国の為政者がどう振る舞ったか、しっかり記憶に刻んでおくのだ。 (編集委員)
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