メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

日本書紀巻7(日本武尊) 

2020年03月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



日本武尊の遠征

『日本書紀』では仲が良かった父子
 ☆古代の英雄として名高い日本武尊
 ☆『古事記』と『日本書紀』の物語の印象が大きく異なる
 *『日本書紀』では、父。景行天皇とは深い信頼関係で結ばれている
 *『古事記』では、日本武尊(倭建命)
 (父の景行天皇から疎まれた「悲劇の皇子」として描かれる)
 ☆日本武尊九州の熊襲(くまそ)征伐の描き方
 *『日本書紀』では景行天皇が主体で行っている
 *『古事記』では父帝から放逐される形で九州へ赴いている
 (女装して宴の席に忍び込み、敵の首領である熊襲建兄弟を討ち取った)
 (帰還途中で出雲の反乱勢力倒し大和へ凱旋している)
日本武尊の再征で東征の描き方
 ☆『日本書紀』では大和武尊が自ら志願した
 ☆『古事記』では西方から帰京してからすぐに出陣を命じられる
 *日本武尊「父帝は私に早く死んでほしいのか」と嘆いている
 ☆日本武尊は、叔母の倭姫命から草薙剣と火打ち石が入った袋を授かる
 *相模で火攻めに遭ったときにこれらを駆使して難を逃れた
日本武尊の遠征の描かれ方が異なるのは
 ☆『日本書紀』での描き方
 *天皇の権威を示す狙いがあつたからと考えられる
 *景行天皇を息子に冷たい人物として描くのを避けた
 *父子関係を良好にしたのかもしれない
 ☆日本武尊の遠征が本当にあったかどうかは定かでない
 ☆ヤマト王権が勢力拡大のため
 *大規模な遠征軍を派遣していた可能性は高いと思われる
 *奈良時代以前から古代道が全国に広がっていたとみられるので
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書紀』と天皇126代』
















日本書紀巻7(日本武尊)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ