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左翼人物と事件7(荒畑寒村氏、松本治一郎氏) 

2020年01月07日 外部ブログ記事
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荒畑寒村氏

 ☆明治末期、若き荒畑寒村氏は、社会主義運動に身を投じる
 ☆『平民新聞』の編集にも携わるようになり、多くの左翼活動家たちの知己を得る
 ☆荒畑氏は、自由を標榜する無政府主義者たちと活動することができなかった
 ☆荒畑氏は、共産主義や無政府主義者と位相を異にした社会主義者の典型を目指した
 ☆荒畑氏は何度も検挙されながらも、終戦まで生き抜く
 ☆日本社会党の結成にも参加し、代議士を二期努め左翼運動の語り部となった

松本治一郎氏

 ☆同和地区の出身で「解放の父」と呼ばれている松本治一郎氏
 *松本氏が、部落解放運動に打ちこんだのは明治から大正に代わる頃
 ☆徳川幕府によって制度として固定化された賤民身分
 *明治政府の「解放令」によつて廃止される
 *それでも、部落差別は変形するか潜在し続いていた
 ☆松本氏は、日本各地に点在する被差別部落民の声をひとつのものにした
 ☆松本氏は、土建業経営と部落解放運動に携わって生涯を過ごす
 ☆松本氏が主役になった「カニの横ばい拒否事件」
 *一般の教科書には載っていないが、国会を揺るがした大事件

天皇への拝謁を拒否
 ☆第二国会開会式で、衆参両議院の正副議長が天皇に拝謁することになっていた
 ☆拝謁する人間は、天皇に顔を向けたまま横向きに退出することが習慣化していた
 *天皇に尻を見せるのは失礼であるとしてつくられた慣習
 ☆松本治一郎氏は拝謁を拒否した「カニの横ばい拒否事件」
 *「カニの横ばい」は、松本が名付けたもの
 *占領軍が松本を支持して、国会内の騒動は収まった
 *松本氏のもとには多数の脅迫状が送られてきた
 ☆この時以来、衆参両議院正副議長の拝謁は廃止された
 *その後なし崩しに復活したという話もある
松本氏の複雑で深い人脈
 ☆松本氏は戦後、部落解放同盟の結成を推進して中央執行委員長に選ばれた
 *今も部落解放運動の象徴的な存在
 ☆松本氏の経歴は、単純ではなかった
 *土建業ではヤクザとの流血の抗争も、またつきあいもあった
 *政治社会の人脈は左右に及んだ
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』










左翼人物と事件7(荒畑寒村氏、松本治一郎氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)

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