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葵から菊へ
「旧招魂齋庭跡」駐車場に見る靖国神社の社入と招魂齋庭の変遷
2019年12月20日
テーマ:テーマ無し
靖国神社「旧招魂齋庭跡」の月極駐車場(99台)が、参拝者駐車場(74台)に変わりました。
社務所の説明では、月極駐車場の場合は夜間の出入りもあるので防犯上の理由でやめたそうです。
そうしますと、月極駐車料金49,000円×99台=4,851,000円の定期収入がなくなりますので、靖国神社の財政(社入)に影響があると考えられます。
靖国神社元総務部長・禰宜宮澤佳廣氏の著書「靖国神社が消える日」には、次のような記述があります。
『参拝者の減少は、そのまま社入にも反映されます。経費の大幅減が見込めない以上、収支バランスは改善されるどころか、ますます悪化することになります。』
平成28年9月14日付朝日新聞の「靖国、参拝者確保手探り――夜間照明・無線LAN――創立150年控え、若者ら意識」記事を引用しています。
『信仰の核となる崇敬奉賛会(1998年設立)の会員は減り続けている。定期的に参拝し、寄付をする遺族や戦友らだ。現在はピーク時の3分の2の約6万2千人。減少について神社の社報には「会員の高齢化に伴い、逝去などの理由による退会者が多い」と記されている。1年間の参拝者数の詳細は明らかにされていないが、02年は約600万人で、03年以降は約500万人という。』
『 (略)経済政策に精通する麻杜氏流の言い回しでは、このようになります。
靖国神社にとっての「カスタマー(話を通りやすくするため、不謹慎のそしりを恐れずビジネス用語を使ってみます)」とは誰かというに、第一にはご遺族でしょう。それから戦友です。
ご遺族のうち戦争で夫を亡くされた寡婦の方々は、今日平均年齢で86・8歳になります。女性の平均寿命(83歳)を超えてしまいました。また「公務扶助料」という、遺族に対する給付を受けている人(寡婦の方が大半)の数は、昭和57年(1982年)当時154万人を数ぇました。それが平成17年(2005年)には15万人と、10分の1以下になっています。
戦友の方たちの人口蝿恩給受給者の数からわかります。こちらも、ピークだった昭和44年(1969年)に283万人を数えたものが、平成17年には121万人と、半分以下になっています。
靖国神社は、「氏子」という、代を継いで続いていく支持母体をもちません。「カスタマー」はご遺族、戦友とその近親者や知友だけですから、平和な時代が続けば続くほど、細っていく運命にあります。ここが一般の神社との大きな違いの一つです。
靖国は個人や法人からの奉賛金(寄付金)を主な財源としていますが、以上のような状況を正確に反映し、現在の年予算は20年ほど前に比較し3分の1程度に減ってしまっているとも聞きます。
戦後日本国家は、戦死者慰霊という国家のになうべき事業を民営化した結果、その事業自体をいわば自然消滅させる路線に放置したのだと言っても過言ではありません。政府は無責任のそしりを免れないでしょう。
このことを、靖国神社の立場に立って考えるとどう言えるでしょうか。「カスタマー」が減り続け、「ジリ貧」となるのは覗々白々ですから、「生き残り」を賭けた「ターンアラウンド(事業再生)」が必要だということになりはしないでしょうか。』
「生き残り」を賭けた「ターンアラウンド(事業再生)」が、2016年から足かけ四ヶ年に亘る「靖國神社御創立百五十年事業」ではないかと考えています。
近日中に、靖国神社平和ボランティアガイド仲間の「靖国神社150年について意見交換会」を開く予定です。
〔招魂齋庭の変遷〕
靖国会館の西、現在は駐車場になっているころが、招魂齋庭です。招魂斎庭跡の説明板にはつぎのように書かれています。
「(略)
斎庭の設定は、明治七年八月、第二回の合祀祭にはじまり、その場所は概ね現社務所所在地にあたっていたが、同三十六年拝殿の南側に移し、同三十八年五月の臨時大祭からその地を斎庭とした。しかるにこの斎庭は、支那事変の勃発に伴い、規模狭小、参列者並びに合祀祭遺族の激増により、種々支障を来すようになったので、昭和十三年四月、此の地に斎庭を遷し、大東亜戰爭中及び戦後合祀の際の斎場とした。
その面積は七百坪(約二三〇〇平米)正面に鳥居を設け、庭内には清砂を敷きつめ、中央一段高い所に縱三間(約五・五米)横四問(約七・三米)の浄域を定め、招魂祭にあたっては、此所に黒木造りの仮殿が設けられた。
昭和二十四年十一月二十日、この齋庭に天皇陛下の行幸を仰ぎ奉り当神社史上最大の臨時大招魂祭が齊行された。
(略)」
社務所。
二番目の招魂齋庭跡
三番目の招魂齋庭跡(一部の浄域以外は99台の月極駐車場)
遊就館展示室「招魂齋庭」のイラストを参考にして管理人が作図。
現在の招魂齋庭跡(管理人12月15日撮影)
以前よりは駐車スペースは40p位広くなっていた。
外苑南詰所で渡されるステッカー。
月極駐車場にはなかった通行スペース。(右の建物は靖国会館。左の建物は法政大学市ヶ谷キャンパス80年館。)
(了)
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