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天皇の権威と万世一系3(神武天皇・継体天皇・応神天皇) 

2019年12月19日 外部ブログ記事
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天皇の権威と万世一系

 ☆記紀(『古事記』『日本書紀』)の記述内容に疑問を抱く2点

第二五代の武烈天皇の記述に疑問を抱く
 ☆武烈天皇は、「諸悪を造し、 一善をも修めたまはず」の記述
 *多くの悪業を行い、一つの善業も行わなかった
 *悪逆非道な天皇として描かれている
 *天皇の偉大な事績を書くはずの『日本書紀』
 *こんなことを書くのはおかしい
 ☆継体天皇の記述
 *武烈天皇が崩御し、継体天皇即位経過
 *武烈天皇が崩御した時、皇位継承者が見当たらなかった
 *越前から応神天皇の五世の孫である男大述王を迎えた
 * 翌年、男大述王は後の継体天皇となる
 (「継体天皇」は死後、おくられた「諡号」)
 *男大述王(継体天皇)が即位したのは五七歳の時
 *継体天皇が都入りするのは、即位後一九年も経ってから
 ☆他に皇位継承者は見つからなかったのか?
 *即位して都に入るのに一九年かかった
 ☆本当の理由は、おそらく権力争いだったのでは?
 *何かの戦いがあり、その争いが一九年続いた
 ☆一種の皇位寡奪に近いことが行なわれたのでは?
 *だから、前の天皇を残虐に書いたとも考えられる
 *「武烈」という怖そうな諡号もさもありなん
 *「継体」という諡号も、極めて暗示的です
応神天皇の記述にも疑問を抱く
 ☆応神天皇の父は仲哀天皇
 ☆仲哀天皇の妻神功皇后が神懸かりになる
 *神から「西海の宝の国(新羅)を授ける」という信託を受けたという
 *仲哀天皇はそれを信じず神を非難し、すぐに亡くなった
 *天皇が神罰を受けたとも読める記述があるのは異様
 *その時に神功皇后は、妊娠中だった
 *仲哀天皇が亡くなってから、子供が生まれた、その子供が後の応神天皇
 ☆応神天皇は父の仲哀天皇の死後、15カ月後に生まれたことになっている
 *何かあったのではないか、と見るのが普通
 *そういう目で見ると、仲哀天皇の亡くなり方もおかしいし
 *「仲哀」という名前もおかしい
 *「後世の読み人よ、わかってくれ」の気持ちで、記紀編纂者がこの字を使った?
「神」がつく三人の天皇
 ☆仲哀天皇は、熊襲との戦いで戦死
 *代わって熊襲が大和朝廷を減ぼして権力を掌握したとの説
 *ここで王朝が入れ替わつたのではないか?
 ☆応神天皇の「神」の字
 *124代の天皇の中で「神」の字がつく天皇は三人
 *初代は神武天皇ですね
 *十代目の崇神天皇(畿内を統一して、強大な大和朝廷をつくった)
 *応神天皇
 ☆日本の天皇で「神」がついている三人だけは特別
 ☆初代の神武天皇と10代目の崇神天皇と同一人物という説も根強くある
 *「ハツクニシラススメラミコト」という同じ称号を持っている
 (「初めて国をつくった天皇」という意味)
 ☆応神天皇を産んだ神功皇后にも「神」がついている
 *「神」の字がついた唯一の皇后
 ☆応神天皇の時代に何か大きな変化があったのではないか?
 *王朝が入れ替わった、と類推する人がいる
 ☆記紀編纂者が苦労し託したことは
 *「万世一系こそが守るべき原則だ」と記した
「神武東征」の記述
 ☆大和平野から発掘される銅鐸はほとんど壊されている
 ☆世界の歴史を見れば、ある民篠・国家が別の民俗を征服した場合
 *被征服民族の宗教を弾圧することがままある
 *宗教的施設や祭祀の道具を破壊することも珍しくない
 ☆大和平野から壊された銅鐸が出てくるということ
 *そこにあった国を別の文化圏の国が征服し、銅鐸を破壊したのでは
日本という国名
 ☆日本は、日が昇ると処の意味
 *皇室の祖神である天照大神「日の神」です
 *古代から日本は太陽を神聖視していた
 ☆国旗が「日の九」で、神話と結びついた国旗
 ☆「日の丸」は古くは源平合戦から使われている
 ☆現在、国旗に使われている「日の丸」
 *江戸時代の薩摩藩主、島津斉彬が提唱したと言われている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『「日本国紀」の天皇論』

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