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右翼の人物と事件6(山口氏・三島氏) 

2019年12月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



山口二矢氏

 ☆山口二矢による浅沼稲次郎社会党委員長刺殺
 *日米安保条約反対運動抜きにしては考えられない
 ☆新安保条約は、国論を二分して争われた
 *最大時には35万人という国会を取り囲んだデモ隊
 *主役は学生と労働団体だった
 ☆「アンポ反対」の声
 *右翼から見れば、共産主義者が扇動してるとしか見えない
 *右翼には、日本の国体を崩壊させようとする叫び声に聞こえた
 ☆浅沼稲次郎刺殺事件の犯人は、当時17歳の山口二矢氏

山口氏テロ決行を決意する
 ☆愛国党を辞め、いくつかの右翼団体に出入りした山口氏
 ☆家に戻り、その家には刃渡り1尺のヒ首があった
 ☆テロ決行の機会を待った
 *多摩川の河原で木の枝をヒ首に見立てて持ち、テロの練習を重ねた
いくつもの偶然同時に起こった
 ☆山口氏がテロのターグットとしていた人物
 *日本共産党の野坂参三、日教組委員長の小林武、浅沼稲次郎の三人
 *山口氏の眼に入ったのが、日比谷公会堂での三党党首演説会の記事
 *そこに、浅沼稲次郎の名があった
 ☆山口氏は、党首会談入場券の切符を持っていなかった
 *人り口の係官が入場券を”好意”でくれたので入ることができた
 ☆偶然浅沼の警備に隙ができていた
 *山口氏はヒ首の鞘を払って浅沼の巨体をめがけて突進した
 ☆山口氏は東京少年鑑別所で自決した
 ☆部屋の壁には歯磨き粉で「七生報国、天皇陛下万歳Jと書かれていた

三島由紀夫氏

 ☆陸上自衛隊東部方面総監部は市ヶ谷台の上に置かれていた
 ☆三島氏は同志らと市谷台訪問し、クーデターの呼びかけた
 *失敗するや自害して果てた
 ☆著名作家の驚天動地の自殺、切腹というショックに世界中が驚愕した
 ☆自衛隊を舞台に挙行されたクーデター未遂事件
 ☆誰よりも驚いたのは政府関係者であったろう

すべてが「死」に向かった
 ☆この時代、日本は高度成長の真っ只中
 *政府は左翼過激派対策だけを考えておけばいいと考えていた
 *憲法改正、国防など重要課題は、先送りという体たらくであった
 ☆三島由紀夫氏は孤独な闘いをしていた
 *三島氏は「楯の会」会員と自衛隊の体験入隊を繰り返していた
 ☆自衛隊との窓口になっていた山本舜勝、「楯の会」の事実上の指導官
 *山本は、事件後に三島氏が政府に提出したという『建白書』を月刊誌で発表
『建白書』
 ☆内容は「武士道と軍国主義」と「正規軍と不正規軍」という2本仕立
 ☆三島氏はこの『建白書』で
 *戦後の国際戦略の中心にあるものは核であると規定している
 ☆核により、世界大戦が回避され、どの国も総力戦態勢をとれないとしている
 ☆防衛問題の前提として天皇の問題を指摘
 *人命よりももっと尊いものがあるという理念
 *国家のなかに持たなければならないと主張
 ☆『建白書』は、現在の安倍内閣の教育や国家防衛の基本方針に近い内容
 ☆憂国の絶叫が三島氏への評価を変えた
 *世界を駆け巡った彼の壮絶な死、日本の右翼陣営にも激震を走らせた
 *「新右翼」が三島氏に続けと活動が活発になる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』












右翼の人物と事件6(山口氏・三島氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)

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