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右翼の人物と事件6(津久井氏・三浦氏) 

2019年12月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



津久井龍雄氏

 ☆戦後強くなったものは、女と靴下、弱くなったのは、男と右翼
 ☆戦前から日本の右翼運動を見つめてきた津久井龍雄氏
 ☆戦前の右翼は、時の政権や政局を左右するだけの巨大な力を持っていた
 ☆戦後になるとGHQの右翼団体の解体、運動資金パイプの崩壊など
 *右翼の力は一気に弱体化した

戦後右翼に喝!
 ☆津久井氏は、敗戦を群馬県の疎開先で迎えている
 ☆東京に戻って来た津久井氏の目に映る日本はやはり大きな違和感を抱かせた
 *占領軍のいいなりで新しい国づくりがはじめられていく状況
 *次々と断行されていく改革という名の日本人の精神をないがしろにする制度の変化
 *敗戦を食いものにして私腹をこやす一部の政治家や役人、資本家、言論人
 ☆津久井氏は、右翼団体の結集を呼びかけた
 *「敗戦ボス」を駆除し、アメリカの隷属下から自立した日本を建設する目的で
 ☆津久井氏強大な運動体が必要と考えた
 *津久井氏が自ら先頭に立って「東風会」を結成、右翼勢力の大同団結を呼びかけた
 ☆「敗戦ボス」に堕した右翼人も多く、この運動は1年で崩壊
共産中国へ右翼一番乗り
 ☆共産主義、何ら恐るるにたらずと意気軒昂な津久井氏
 *右翼勢力の結集がままならなと知る
 *マコミを通じての活動を積極的に展開する
 ☆中国に毛沢東政権ができて5年しか経っていない頃
 *中国を視察して来ようという感覚を持った津久井氏
 *やはり凡百の右翼とは一味違った人物であった

三浦義一氏

 ☆戦後いち早く右翼人として活動した人物
 ☆「無謬(むびゅう)の黒幕」などと呼ばれて、政財界への影響力を誇った
 ☆多くの伝説も生まれ「東条英機の引渡し」伝説が有名
 ☆三浦氏が提案した終戦工作
 *東条を説得してアメリカに連れて行く
 *ホワイトハウスで切腹させ、介錯は三浦氏自身がやるという奇想天外なもの

東条英機を”売る” 
 ☆戦後三浦氏自身も戦犯容疑で身柄を拘束され、病気を理由で釈放されている
 ☆昭和電工疑獄事件が政界中枢を襲う
 *この事件が三浦氏の発言力を大きくしたといわれている
 ☆昭電疑獄の背景には、GHQの内部対立がからんいた
 *三浦氏は自由党に接近するG2側に立つ
 ☆G2側勝ち、これを機にGHQの占領政策が変化する
 *社会党を含む中道路線から自由党に重心を置く保守路線に変わった
 *G2内に情報網を持ち、多くのシンパを有した三浦氏
 *吉田内閣の黒幕として隠然たる存在感を示す
室町将軍
 ☆三浦氏は東京日本橋の室町の三井ビル内に事務所を構えていた
 *マスコミ関係者などの間で「室町将軍」と呼ばれた
 *”将軍”の全盛時代は、5分刻みに訪問客が現れた
 ☆三浦氏は、一万田氏の裏方をやっていたようだ
 *一万田氏は、日銀総裁、蔵相歴任
 ☆三浦氏の晩年はちよつぴり悲しい
 *オレのやったことで書き残すに値するようなことは一つもない
 *恥多き人生、 つまらん一生だったと述べている
 ☆政界への絶大な影響力を誇った三浦氏
 *孤独に悩む一人の人間だったのかもしれない
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』












右翼の人物と事件6(津久井氏・三浦氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)

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