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2019年11月法語解説について(真の知識にあうことは かたきがなかに なおかたし) 

2019年11月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



真の知識にあうことは
かたきがなかになおかたし
流転輪廻のきわなきは
疑情のさわりにしくぞなき
                  (高僧和讃)

親鸞聖人のご和讃です。

まことの仏法の先生にお会いすることは、難しいことの中の難しいことです。私が流転輪廻して迷いから離れられないのは、疑情が阿弥陀仏の本願を妨げているに他ならないのです。

このブログのタイトルにしたのも、私が一番好きなご和讃だからです。

最初にこのご和讃を知った時、初めの2行と終わりの2行は、関係のない内容のような気がして、どうして知識に遇い難いとこが、疑情につながるのか?と思いましたが、これは親鸞聖人が師である法然聖人のことを謳われたものなのですね。

比叡山で、煩悩と闘って生死の一大事を解決されようとなされた、人並みならぬ努力をそこでされたのですが、そこでは叶わなかった。山を下りられて法然上人と出会われた。そこで、流転輪廻から離れられないのは、煩悩によるのではなく疑情によるのだ、と知られた聖人。そして法然上人の元で聞法に励まれ、やがて阿弥陀仏によって疑情は晴らされ、彌陀の本願まことを知られた…

そんな聖人だからこそ、この迷いの根源は疑情一つと教えてくだされる人、真の知識にはなかなか遇えなかった、疑情を教えてくだされる知識には遇い難いのだ、ということを言われているこのご和讃が、私は一番好きなのです。

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