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痩田肥利太衛門残日録その二
運転免許証自主返納顛末記
2019年09月22日
テーマ:テーマ無し
運転免許証自主返納の図
75歳の誕生日直前の2019年(令和元年)9月3日、運転免許証を自主返納しました。この日をもって56年間使用した運転免許証は無効になり、運転経歴証明書という身分証明書に変わってしまいました。
4か月間にわたる返納劇の余韻さめやらぬうちに、事の顛末を文章にしたため、残すことにしました。
令和時代が幕開けした5月連休明け、「運転免許証更新と講習の通知書」が届きました。 これを見て、私は2年近くもの間、まったくハンドルを握っていないことに気がつきました。
考えてみれば、車を手放してから20年余り経ち、年に数回、レンタカーや実家に帰ったときなど運転していれば、運転実技は維持できると思い込み、普段は車を必要とする生活をしていませんでした。
最近、新聞・テレビで高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違いや高速道路の逆走など判断力・記憶力・運動能力低下による事故が盛んに報じられており、また、私は1ヶ月後の10月には75歳の後期高齢者になります。
体力には自信がありますので高齢者に見られたくないと思っていましたが認知症検査、運転実技、法令・規則講習を求める通知書を見て、私も高齢者であることを自覚せざるを得なくなり、さらに運転空白期間を考えると今が運転免許証自主返納の潮時かと考えるようになりました。
とりあえず、認知症検査を受けてから考えようと野田市の野田自動車教習所に申し込み、6月29日に検査を受けました。
すると、前日にインターネットで試した認知症検査問題と全く同じ問題が出て96点という高得点を取ってしまいました。認知症検査は合格し、運転実技検査と講習会は2カ月後の9月10日に決まりました。
帰る前、高得点を採って良い気分で教習所のトイレに入ったところ、職員らしき人が受験者と話をしていました。
「検査問題は市販されており、認知症の人はいくら事前練習しても判定基準49点をとることはできないが、通常の人であれば高得点の人ざらにいる。」という話を聞いて、意気揚々としていた気分は一瞬で萎えてしまいました。
その夜、「家内は買い物や病院はもっぱら自転車を使い不自由していない、自転車が乗れなくなったらタクシー使っても良い、事故を起こせば元も子もなくなる」と自主返納を勧められました。
しかし、いざとなると、自主返納の決心がつかず迷いが出てきました。そこで、自主返納すると宣言し、自分を追い込むことにして家族、兄弟、知人、友人に言って周りました。
8月初旬、山形県小国町の実家の土蔵掃除へ3週間の予定で行くことになりましたが、宣言した手前、免許証を持って行かないことにしました。
もって行けば、実家の車を運転し、自主返納の可能性がなくなると思ったからです。
土蔵の掃除としては古文書や刀・槍や掛け軸・屏風や食器類(錆・傷物多く低価値品)と書籍・衣類・音楽テープ・ビデオ・音楽・電気器具(大部分が不要物)など要不要を分別し、袋と箱詰めして積み上げる作業をのみ行い、書籍など一部の廃棄物の運搬・廃棄は実家、それ以外は業者に頼むことにしました。それでも、毎日3〜6時間、3週間かかりました。
9月10日の実技運転検査日まで2週間を切った8月下旬自宅に帰り、忘れていた自主返納問題が再び頭に浮かんできました。
そして、練習すれば運転実技は通常レベルに戻るという考えと事故の心配から運転を止めた方が良いという考えが交錯し、決心がつきません。
検査1週間前の9月2日、運転をあきらめるにしても、最後の運転をしてみたいという欲が出てきました。
運転すれば、さらに迷いが増してしまうと思いながらも、レンターカー会社へ行き、普通車を借りる契約をしました。
車に乗り込み、サイドブレーキを外そうとしますが見当たりません。キョロキョロ探していると、係りの人がどうしましたかと声をかけてきて教えてくれました。
私が2年前、実家で乗った車はサイドブレーキ付のブレーキペダル、アクセルペダルから成るAT車でしたが、今回の車はサイドブレーキが無く、パーキングペダル、ブレーキペダル、アクセルペダルから成るAT車でした。
パーキングブレーキと聞いて運転システムが変わった思い込み、さらに2年間の運転空白が追い打ちをかけ、頭が混乱して操作ができません。焦り、あわてている私の姿を見た係の人はヤバいと思ったのか「最近、運転していませんね」と言われ、私が「そうです。」と答えると、「全額戻しますから運転を止めましょう」と言われてしまいました。
私もこんなはずではなかったと、この大恥をかいた現場から一刻も逃れたいと思い、契約を解約して、逃げるように帰りました。
冷静を取り戻した後、「実家で練習していればサイドブレーキがパーキングブペダルに換わったくらいであわてることなかったのに」と思いましたが、免許証を持っていかなかったのは運転しないための対策だったのでしかたがなかったと自分に言い聞かせました。
大恥をかいたことで、迷いが吹っ切れて自主返納する決心がつきました。
次の日の2019年9月3日、通知書と写真と印鑑を持って、野田警察署へ行き、運転免許証の自主返納を申し出ました。
返納手続きはいたって事務的で、返納の理由など聞かれることはなく、大丈夫ですかという確認の後、「申請による運転免許の取り消し通知書」と記念として「穴を空け無効にした運転免許証」を受け取り、あっという間に、終ってしまいました。
そして、10日後の9月13日に野田警察署に行き、運転経歴証明書を受け取り、私の自主返納劇はあっけなく終わりました。
1963年(昭和38年11月12日)に取得し、56年間持ち続けた運転免許証は孔を空けられ記念品となり、これからはまったく運転できなくなるのかと思うとちょっと寂しくなりました。
しかし、事故を起こす心配はなくなり、生活する上で私も家内もほとんど支障を感じていないので、これで良かったと思っています。 (令和元年9月17日記)
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