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遺跡に込められたメッセージの謎4 

2019年10月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



遺跡に込められたメッセージの謎4

 ☆兵馬俑に見える始皇帝の独占欲(なぜすべてが実物大?)
 ☆バーミヤンの二大石仏の顔はなぜ切りとられていたのか
 ☆渤海王国の滅亡は大山の噴火が原因か

兵馬俑に見える始皇帝の独占欲(なぜすべてが実物大?)
 ☆中国本土をはじめて統一した秦の始皇帝、その権力の象徴は、始皇帝陵である
 *陵を造営するために70万人以上の徒刑者が送り込まれた
 ☆兵馬俑とは、ほぼ原寸大の兵士や馬の埴輪のことだ
 *原寸大なので、本物の兵士が始皇帝の墓を守っているような印象を受ける
 ☆大量の兵馬俑がつくられた理由
 *宮殿を守るために、兵馬俑が置かれていたとの説
 (始皇帝陵には、地下宮殿がつくられていた)
 *始皇帝を敵から守るためにつくられたとする説
 (「俑」とはそもそも、死者とともに添えられる供物のこと)
 (永遠の命を欲する始皇帝のそばに、兵馬俑があるのはおかしい)
 ☆兵馬俑の遺跡は、常識では考えられないことばかり
バーミヤンの二大石仏の顔はなぜ切りとられていたのか
 ☆アフガニスタンのヒンドウークシュ山脈の山間にある仏教遺跡バーミヤン
 *遺跡はガンダーラ美術の最高傑作のひとつといわれていた
 ☆大仏何のために、いつつくられたのか、どうやってつくられたのか
 *文献、碑文、銘文が何一つない
 *ササン朝ペルシア等の文化の影響を受け四〜五世紀あたりの作品と推測される
 ☆もっとも不可解なのが、大仏の顔
 ☆二体とも、口元をわずかに残すのみで、顔が削りとられていた
 ☆九世紀ごろに侵入してきたイスラム勢力の仕業との説
 *イスラム教では、偶像崇拝を認めていないが、異教の像を否定するなら
 *顔面だけでなく、すべて破壊してしまうのでは
 ☆二体の仏像は、イスラム原理主義のタリバンによっり、既に破壊された
 ☆仏像の体は石を彫ってつくられているが顔作成に関しての説
 *顔だけは、粘土や漆喰によって表現しようとした説
 *顔面のない仏像だったという説
 (中国の天梯山石窟の大仏は、顔のない大仏)
 ☆バーミヤンの仏像
 *粘土や漆喰でつくった顔の部分をとりつけた痕跡がまったく見られない
 ☆どちらの説も完璧な説明には至っていない
渤海王国の滅亡は大山の噴火が原因か
 ☆六世紀の朝鮮半島では、高句麗、百済、新羅がしのぎを削っていた
 ☆新羅の勢力が強くなり、百済、高句麗は滅びてしまった
 ☆高句麗の復興を目指して建国されたのが「渤海」
 *新羅、唐の脅威にさらされていた渤海、日本との交流を積極的に行なった
 *渤海は建国後約230年間も続いたが、「遼(りょう)」侵入によって滅亡した
 *二年後には、遼が旧渤海の統治を放棄している
 ☆遼が、統治をあきらめた背景には、何があつたのか
 *遼は、渤海人たちの抵抗が強かつたので、放棄したとされている
 ☆地質を研究する金子史朗氏は、渤海の滅亡と遼が統治を放棄した理由
 *自然災害(白頭山の大噴火)が深く関与していたと述べている
 *渤海が遼に征服されたのも、この火山噴火が原因と主張する
 ☆それが本当に正しければ、教科書にも記載されるはず
 *渤海人が残した史料は、どういうわけか、ほとんど残っていない
 *滅亡の本当の原因を知ることができない
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『世界史の謎がおもしろいほどわかる本』






遺跡に込められたメッセージの謎4
(『世界史の謎がおもしろいほどわかる本』記事、ネットより画像引用)

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