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葵から菊へ
飯沢匡没後25年記念「もう一人のヒト」青年劇場公演(紀伊國屋ホール)
2019年09月25日
テーマ:テーマ無し
飯沢匡没後25年記念「もう一人のヒト」青年劇場公演(紀伊國屋ホール)を千穐楽の22日に観賞した。
元靴職人の杉本が復員した息子勝を抱きしめる終幕で涙を流してしまった。
映画を見たときに涙を流すことはあったが、芝居では初めてのことである。
前日の21日に「憲法カフェ・憲法はじめの一歩」の方々を靖國神社としょうけい館のガイドをしたが、生後6ヶ月の時に出征した父が、もしも戦死をしたら「靖國の遺児」になっていただろう話をしたことを思い出したのだろう。
幼いときに戦死した父に会いたいと靖國神社を参拝する「遇いに来ましたお父さん」は、大好きな歌謡曲の一つである。
劇場で買ったパンフレットに一橋大学大学院特任教授の吉田裕先生が「歴史的背景を読み解く」を寄稿していた。
『「もう一人のヒト」の初演は敗戦後二五年を経た一九七〇年、当時は戦争の時代を身をもって体験した人が社会の中核をしめていた。しかし、それから半世紀近い歳月が流れた今日、戦争体験世代は圧倒的な少数派だ。二〇一八年一〇月の人口推計でみてみると、八〇歳以上の人が全人口に占める割合は、わずかに八・九%にすぎない。二〇一八年時点で八〇歳の人は小学校(当時は国民学校)低学年で敗戦を迎えているから、八〇歳以上の年齢の人が戦争の時代を生き戦争の時代の直接の記憶を持っている世代と言っていいだろう。そんな時代であるだけに、ここではこの作品の時代背景について少し書いてみたい。』と、言われているが管理人も「戦争の時代の直接の記憶を持っている世代」の一人であるので、靖國神社ガイドはついつい力が入ってしまうのである。
吉田先生は三つの問題を解説している。
?『飯沢匡がその着想を得た南北朝正閏論争と熊沢天皇の問題である。一四世紀の日本では南朝と北朝という二つの系統の天皇家が並立し対立と抗争を繰り返していた。南北朝の内乱である。明治時代の国定教科書では、この時代について、南朝と北朝を平等に扱いどちらに正統性があるかを論じないという記述をしていた。ところが神国思想を振りかざし南朝が正統であることを主張する国粋主義者たちが、この記述を非難したため、大きな政治問題に発展し、一九一一(明治四四)年二月、当時の桂太郎首相は明治天皇に上奏し南朝を正統とする勅裁が下される。その結果、南朝を正統とし北朝の天皇の存在を認めない記述に、教科書の内容は大幅に改定されることになる。しかし、皮肉なことに現実の天皇家は北朝の系統だったため、現在の天皇家=北朝という事実は戦前の日本社会では最大のタブーの一つとなった。ちなみに、宮内庁のホームページにある「天皇系図」では、神話上の人物である神武天皇が第一代の天皇、現在の徳仁天皇が第一二六代の天皇とされているが、北朝の五人の天皇は歴代天皇の中にカウントされていない(原武史『平成の終焉』岩波新書、二〇一九年)。タブーは未だに生きていることになる。』
?『皇族の軍人である香椎宮為永の問題である。一九一〇(明治四三)年制定の皇族身位令によって男子の皇族は軍務につくことを義務づけられていた。「帝国陸海軍」が「天皇の軍隊」であることを内外に示すための措置だが、彼らは天皇の分身のような役割を果たした。例えば一九四五年八月のポツダム宣言受諾の際には、徹底抗戦派による反乱などを封じ込めるため、多くの皇族岳早人が各地の軍司令部に派遣され、ポツダム宣言の受諾が天皇の意思であることを伝達している。この作品に登場する香椎宮大将のモデルは、フランスに留学しフランスの文化にも造詣が深いこと、軍事参議官であること、首相候補として登場することなどから考えて、明らかに東久適宮稔彦である。東久適宮は、一八八七(明治二○)年生まれの皇族で、昭和天皇の皇后・良子(香淳皇后)は姪にあたる。陸軍士官学校を卒業後、一九二〇年から一九二六年までフランスに留学し自由気ままな海外生活を謳歌した。帰国後陸軍の要職を歴任し、アジア・太平洋戦争の開戦時には、軍の強硬派を押さえ開戦を回避するための切り札として東久適宮を首相にする構想が浮上したが、皇族内閣で開戦を決定し戦争に負けた場合、「皇室は国民の怨府」となり「国体」(天皇制)が危うくなるという木戸幸一内大臣の反対で東久適宮内閣は実現しなかった。(中略)敗戦直後の一九四五年八月一七日には最初の皇族内閣である東久遷宮内閣が成立するが、アメリカ側が要求する民主化政策を実行に移すことができず、一〇月五日には総辞職している。』
(注)陸軍大臣も兼務していた。
?糞尿処理の問題である。東京都の場合、区部で収集された糞尿は船によって運ばれ海洋投棄されていた。しかし、戦局の悪化によって十分な投棄船が確保できなくなると、西武鉄道や東武鉄道によって運搬し埼玉県で処理することになったが鉄道輸送量には大きな限界があった(相木博ほか『日本人の暮らし』講談社、二〇〇〇年)。また、郊外などでは近隣の農家が肥料として使用するため、糞尿を各家庭から引き取ることも多かったが、農業労働力の減少によって、そうした処理も滞るようになった。その結果、各家庭の糞尿を直接川などに捨てることが常態化した。この作品はそうした細部にこだわることによって、戦時下の国民生活のリアルな実態を浮き彫りにしていると言えるだろう。』
(注)23区部には、汚水処理場が出来たが時間降雨量50ミリ対応なので、東京湾は戦前と同じように糞尿まみれとなっている。五輪競技場問題が先日惹起されていた。
岩波ブックレット吉田裕著「日本人の歴史認識と東京裁判」を是非お読み下さい。
(了)
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