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葵から菊へ

「市ヶ谷警察総合庁舎」旧印刷局記念館通りの歩道整備は後5年先となる 

2019年09月19日 外部ブログ記事
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先週土曜日に、東京女子医大消化器センター井上雄志先生の診察があった。その帰途に「旧印刷局記念館通り」の警視庁特科車両隊・第五機動隊庁舎の工事現場を見に行った。
仮囲いの「建築のお知らせ」を見ると「市ヶ谷警察総合庁舎」となっており、建築主は、国土交通省関東地方整備局長となっていたので、昨日関東地方整備局営繕部の担当者に電話をした。
?警察署など警視庁庁舎は東京都予算であるが、警視庁機動隊庁舎は国の予算である。よって国土交通省関東整備局が所管する。
?財務省研修所が移転跡地も総合庁舎敷地にした。現在東京都埋蔵文化センターの埋蔵文化財調査が併行している。
?着工は令和元(2019)年9月1日、完成予定は令和6(2024)年3月31日である。
?「新宿区市谷本村町・市谷加賀町地区計画」に基づいた壁面後退をするので、完成時には歩道が整備される。
東側から日本学生支援機構、国際協力機構市ヶ谷ビル、内閣衛星通信センター、防衛省東京地方協力本部、防衛省防衛研究所の各建物は壁面後退をして歩道を提供しているので、同じく市ヶ谷警察総合庁舎も歩道が整備されることになる。市谷仲之町交差点の39階建ザ・センター東京も歩道は整備されている。
大きな問題がある。それは2001年に閉鎖した「にっしょう会館(日本傷痍軍人会本部)の跡地に建設された民間マンション「パークアクシス市ヶ谷」である。新宿区に建築確認が提出された段階で、壁面後退をさせることをしなかった大きな行政ミスを犯した。
新宿区は、その後「市谷本村町・加賀町地区 地区計画」を策定した。よって防衛研究所も壁面後退をしたのである。




国土交通省関東整備局が、庁舎完成以前に歩道部分だけの先行工事完了を要望したい。

新宿平和委員会(会長長谷川順一)が、2000年に発刊した「葵から菊へ 軍都新宿の歴史を訪ねる」(絶版)から抜粋。
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五、切手とお札の博物館

 左内門の前を右折、日本育英会〈注1〉で左折すると、国際協力事業団、右側は大日本印刷である。やがて印刷局記念館「切手とお札の博物館」〈注2〉という看板が日に入る。この辺は昔の内閣印刷局の跡地である。大蔵省管轄の建物が現存している。マネーに興味をお持ちの方は入館無料。お札や切手の移り変わりと経済の変化を目にすることができる。
六、にっしょう会館(傷痍軍人の会館)

 さらに進むと「全信連事務センター」「にっしょう会館」、今ひらがなになっているので何の意味か判じかねるが、ここは、日本傷痍軍人会が上京の折の宿泊設備としてオープンした。〈注3〉二〇〇一年三月閉館した。
 この全信連とにっしょう会館辺りは戦後復員局の置かれた所、一応の任務を終わった復員局は総理府恩給局(現在総務庁恩給局)として若松町(砲工学校跡地)に越し、跡地を払い下げた。このにっしょう会館払い下げに関するエピソードを紹介しておく。
エピソード
 当時この払い下げに携わったのが笹川良一氏(理事長)で、七年間は身体障尊者の福祉作業所を作ることが払い下げの条件であった。障害者の作業所は五階にあったが、七年経つと作業所を東村山に移し、完全なホテル業と変わっていったそうである。(軍と癒着し、戦中は大もうけをし、戦後は競艇場を独占、博打場にしてはばからない大陸浪人笹川氏らしい仕業である。)
〈注1〉現在は日本学生支援機構
〈注2〉お札と切手の博物館は、北区王子に移転した。
〈注3〉1967年3月28日に開館した。(しょうけい館学芸課調べ)

9月14日に撮影した、旧印刷局記念館通り
















(了)

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