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「防衛省防衛研究所と東京都埋蔵文化センターが映像を捏造」とメール受信 

2019年09月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



2018年5月13日放送の日本テレビ・NNNドキュメント「南京事件?」に使われた「尾張徳川家上屋敷跡埋蔵文化財調査」の映像は、 防衛省防衛研究所と東京都埋蔵文化財センターが捏造に関わり「ニセモノを作っている」という趣旨の質問メールを8月24日に受信しました。
メールの発信者は、久武喜久代さん(63歳 神奈川在)です。
質問メール全文は、インターネットに「長谷川順一」も公開さている「こちら」です。
管理人への質問は下記。(ご本人は抜粋ではなく、全文をと言われていましたが、全文はネット上でご覧になれますので。)
・・・・・・・・・・・
検索で、貴ブログ・8/22昭和天皇「拝謁記」がヒットしました。
現在、慰安婦問題や南京事件など、歴史認識問題には、歴史学的に重大な疑問が出ています。
防衛省防衛研究所や、東京都埋蔵文化センターが捏造に関わり、その証拠となる「ニセモノを作っている」現場の映像が、
テレビで放映され、ネット上で公開されています。
2018年5月13日放送の日テレ・NNNドキュメント南京事件2冒頭に、東京都教育委員会が所蔵している写真が出てきます。
 NNNドキュメント南京事件2(最初の数分)
 https://www.dailymotion.com/video/x6ji5vq  
こんな発掘現場はあり得ません。燃え殻が盛り上がっています。(「考古学・発掘現場・写真」で検索)
私はおかしいと思って、東京都に聞きました。
「東京都教育委員会からの回答」(原文は担当者署名入り)
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/180521toukyoutokyouikuiinnkai.html
これは、写真の説明ではありません。  
この事実は、「東京都埋蔵文化センター」と「防衛省戦史研究室」に、ニセモノを作る人たちがいる、という証拠です。
映像は、青空と建物の画像などが消されているようですが、ブログに市ヶ谷の話も出てくるので、お考えをお聞かせ頂きたいです。
・・・・・・・・・・・
8月29日東京都教育庁地域教育支援部の東京都埋蔵文化センター担当に聞きました。
「2018年5月13日放送の日テレ・NNNドキュメント南京事件?、冒頭に使用された写真は、東京都埋蔵文化財センターが市ヶ谷駐屯地内(尾張藩上屋敷跡)で発掘調査中、焼却文書が出土した際のスナップ写真です。焼却文書は、現在の地表面から約2メートルの深さに掘り込まれた坑に、投げ込まれたような状態で出土しました。写真は地表面を徐々に掘削している途中で撮影されたものです。東京都埋蔵文化財センターの調査担当者が撮影し、写真自体は東京都教育委員会が所蔵しています。なお、焼却文書は市ヶ谷駐屯地内の埋蔵文化財調査の対象ではなく、全て回収し、防衛省に引渡しました。」とメール回答をしたが、そもそも文化財保護法が規定する調査対象は近世以前なので、出土した文書類は本来であれば「ゴミ」として処理するものである。よって深さ2メートル以外場所等の記録はない。日本テレビにはスナップ写真を6枚提供したと電話回答がありました。

8月25日の第一信は、ブログ記事「戦跡を歩く:07年夏/10 旧陸軍参謀本部、大本営跡地」を閲覧して下さいと送信しました。


さらに8月26日下記を送信しました。
・・・・・・・・・・・ 
添付の「市ヶ谷台要圖」をご覧下さい。

尾張徳川家上屋敷跡に、明治7年陸軍士官学校が開設され、後に中央幼年学校も併設されました。
当時の訓練用トーチカが保存されています。(非公開)
陸軍士官学校は相模原に、航空士官学校は所沢に移転して、三宅坂からは、陸軍省が移転し、大本営陸軍部が開設しました。
市谷薬王寺町、市谷加賀町に隣接する北側には、木造二階建ての兵舎、厩舎などが建てられました。
戦後は、そこに第一復員局、第二復員局(厚生省引揚援護局)が入りましました。そこで美山要蔵や草地貞吾が働いていました。
小生は、近くの市谷山伏町に住んでいましたが、友人の家族が復員局職員でしたのでそこに住んでいましたので訪ねたことがあります。
市谷薬王寺町の方の証言では、8月15日から一週間位黒い煙が立ち上ったと言われています。
防衛庁(当時)が、港区桧町からここに移転することになり、陸上自衛隊東部方面総監部や幹部学校が移転しました。
旧牛込区一帯は「文化財包蔵地」であり、徳川家屋敷跡ですから東京都教育委員会と新宿区歴史博物館が文化財調査を始めました。
現在は、近代の文化財も調査対象となりましたが、当時は江戸時代以前を対象にしていました。
発掘調査中に、問題の焼け残りの文書類が発見されました。
当初は、不問にしようとしたらしいのですが、毎日新聞社会部記者吉永磨美さんが暴露しました。
その後の経過は、都埋蔵文化財センターのメール回答です。
貴姉が疑問視されている「空や貧相なコンクリート建物」が見えたことですが、陸軍省が焼却をした場所は、建物と建物の空き地でしょうから、キッと北側だと思われます。
軍医学校跡地から人骨が出土した問題から、戸山ハイツに住んでいた元日赤看護婦石井十世(故人)さんに聞きました。
やはり命令で8月15日から、陸軍東京第一病院の病棟と病棟の間の空き地で、書類を一枚一枚丁寧に焼いたそうです。
陸軍省は、膨大な書類だったので、紐で縛ったまま焼いたので、燃え切らずに埋めたのでしょう。
それが発見された時の写真だと思います。
以上ですが、ご理解頂いたでしょうか。
・・・・・・・・・・・
8月29日の受信メールでは、納得していないようでした。
・・・・・・・・・・・
長谷川順一 様
ご報告、ありがとうございました。
2018年5月13日放送の日テレ・NNNドキュメント南京事件2冒頭に、 東京都教育委員会が所蔵している写真の話です。
NNNドキュメント南京事件2(最初の数分)
https://www.dailymotion.com/video/x6ji5vq  
1945年の終戦直後に焼却された軍の書類の燃え残りが、1996年の発掘の際に発見された。
<これはその、1996年の発掘の時の写真だ>と言っています。
もし自分で書類を燃やして、その燃え残りを地中に埋め、50年後に掘り出して、 << 重機で平地に置いたら、>!!!(形が崩れていません)
このような状態に、なるとは思えません。
さらに説明がおかしい、ようです。
    久武 
・・・・・・・・・・・ 

(続く)  

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