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「男根のある狛犬」乃木神社編 

2019年08月25日 外部ブログ記事
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大正元年(1912年)9月13日、明治天皇の大喪の礼が青山練兵場で行われた日の午後8時頃、乃木希典は妻・静子とともに自刃して亡くなった。享年64(満62歳)没。
延宝8年に堀田正信が将軍徳川家綱死去の報を聞いて自害していますが、一般にはこれが江戸時代から明治時代まで最後の殉死とされていますので、乃木の殉死は国民に衝撃を与えました。
江戸城サロン「会津初代藩主 副将軍 保科正之と明暦の大火」

保科正之の「三大美事」
?主人が死ぬと家臣も共に自殺する「殉死」を禁止し、?大名が裏切らないように妻子を「人質にとる制度」も廃止しました。?急死した大名の「末期養子の縁組」も認めて大名家取り潰しに歯止めをかけました。


上野・現龍寺の「殉死之墓」

乃木希典の自宅は、港区立乃木公園とて毎年殉死した日の前後に一般公開が行われます。

































乃木家祖霊社





「乃木将軍と孝子辻占売少年の碑」

金沢市浅野川河畔に建立された「今越清三朗翁出生の地」碑
揮毫は乃木神社宮司となっているが、乃木の郷里である下関市長府の乃木神社である。






乃木希典には二人の息子がいました。
長男勝典は日露戦争「南山の戦い」で戦死。次男保典は「203高地の戦い」で戦死。


中国旅順市203高地山中にある「乃木保典戦死之所」碑
靖国神社遊就館展示室9「招魂齋庭」の霊爾簿は、乃木保典命の頁が開かれている。






日露戦争で、ロシア軍ステッセル将軍と停戦条約締結をした時の机です。
現在置かれている場所は変わりました。「戦争遺物」として重要です。
防衛ホーム社刊「彰古館」によれば、第一師団衛生隊繃帯所に急遽手術台を二つ合わて会見卓にしたそうです。
一台は、新宿区戸山の陸軍軍医学校に保存されていましたが、敗戦後乃木邸に置かれました。もう一台はそのまま水師営の農家に残されて観光客に公開されています。


















手術台に記載してある文
明治三十八年一月二日 水師?二於ケル第一師團衛生隊繃帯所二於イテ日露両軍使旅順開城談判所二充テラレシセル際此手術臺上白布ヲ被シテ卓子ヲ爲シ両軍使相對シテ條約ヲ締結シタルモノナリ 第一師團衛生隊醫長 横川徳郎識



旅順監獄内の資料館に展示してある、乃木が詠んだ「金州城」


邸内は撮影禁止ですが、撮影可だった2010年9月13日に撮影した邸内写真(順不同)























































乃木神社は、旧乃木邸の一部に建立されました。
東郷神社と同じく、府社から別格官幣社になる寸前に山ノ手空襲で本殿が焼失しました。














「神社の狛犬に男根がある理由」

(続く)

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