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玉音放送を作った男 

2019年08月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



日本の敗戦を昭和天皇自らが語りかけた「玉音放送」

 ☆実現へと導いた仕掛け人、時の情報局総裁・下村宏死
 *昭和20年8月に天皇に単独拝謁して実施を訴えた
 ☆阻止しようとする反乱軍と対峙し、8月15日の放送を死守した

下村宏氏の略歴
 ☆和歌山県出身で「和歌山日日新聞」を創刊し、逓信省に入る
 ☆退官後、実業家として活動し、東京商業学校の創設に関わる
 ☆台湾総督府時代
 *八田與一を支援し嘉南大?の建設に貢献した
 ☆台湾総督府後、朝日新聞社で、専務・副社長を歴任
 ☆社団法人日本放送協会会長となる
 ☆鈴木貫太郎内閣で国務大臣(内閣情報局総裁)となる
 ☆終戦直後戦犯として一時拘留された公職追放を受ける
 ☆参院選に無所属で出馬するも落選
和歌山県串本町潮岬の下村宏氏の歌碑
 ☆歌人として、佐佐木信綱主宰の竹柏会に入会
 *竹柏会の「心の花」に多くの作品を寄せる
 *生涯に5冊の歌集を出した
 ☆兵庫県西宮市の苦楽園に邸宅を構え「海南荘」と称して約15年間ここに住む
 ☆その間、多くの歌人や文化人を招いて歌会や各種集会を催した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、NHKBSプレミアム、『玉音放送を作った男』、WIKIPEDIA




玉音放送を作った男(NHKBSプレミアムテレビ画面より画像引用)

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