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平成の虚無僧一路の日記

私のピアノの先生は「酒井勝軍」の娘。 

2019年07月01日 外部ブログ記事
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酒井勝軍の「東京唱歌学校」は、高村光太郎の日記にも出てくる。「光太郎の姉が 酒井勝軍の音楽教室に通っていたが、姉は 音楽はサッパリだめで、絵や彫刻にはすごい才能を発揮した」と。私も、子供の頃、絵は好きで毎日のように描いていたが、音楽は音痴で全くダメだった。心配した母が、実家からピアノを取り寄せ、父の従妹にあたる「万澤智恵」さんに、家に来てもらうことになった。その「智恵」さんこそ「酒井勝軍」の一人娘だった。「智慧」さんは、ピアニストの万沢氏に嫁いだ。NHKの「のど自慢」で初代のピアニストを務めていた人だが、若くして亡くなった。私と同年くらいの二人の男児がおり、時折わが家にも遊びに来ていた。以前、このブログをきっかけに、疎遠になっていた「万沢」氏から電話がはいり、「ステッセルのピアノ」のことを聞いてみた。「両側に燭台があり、相当年代もので、漆も剥げ、ボロボロになっていて音も出ないので、引っ越す際処分してしまった」と、ザンネン。浜松の「楽器博物館」に同様のがいくつかあり、そこへ寄付すれば良かったのにと悔やまれる。さてさて、私はピアノがちっとも上達せず、それで洋楽嫌いになり、「尺八」に転向した。だが、子供の頃、ピアノを習っていたおかげで、五線譜が読め、昭和40年代の「現代音楽」華やかなりし頃、当時、五線譜で尺八を吹ける人は少なく、私にも活躍の場があった。それで 今 私は 尺八で食べていられるのだ。感謝、謝謝。

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