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大阪事件、王仏冥合、大衆福祉 

2019年05月12日 外部ブログ記事
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選挙という宗教活動2

公職選挙法違反に問われた「大阪事件」
 ☆創価学会の会員たちは、はじめての選挙活動に従事しそれを折伏と重ね合わせた
 *公職選挙法に違反するような結果になった
 ☆1957年の参議院大阪地方区の補欠選挙
 *定員が1名、創価学会が候補者を立てても、当選の見込みはなかった
 *組織の引き締めのために候補者を立て、相当に激烈な選挙活動を展開した
 *45名の会員が買収で、3名が戸別訪間の疑いで逮捕、起訴された
 *それは当時選挙活動を指揮した池田氏にまで及び、裁判で無罪となる
 *創価学会では、これを冤罪としてとらえ、「大阪事件」と呼んでいる
 ☆起訴された45名
 *20名に罰金刑が下され、うち10名は公民権停止
 *彼らは創価学会から除名されている
 ☆大阪事件が池田氏の冤罪と伝えられてはいるが、選挙違反は伝えられない
 ☆創価学会の会員でも大阪事件を認識している人間はほとんどいない
池田大作会長就任で議席が増大
 ☆池田氏が会長に就任し公明党が結党され綱領が発表された
 ☆第一「王仏冥合と地球民族主義にのっとった恒久平和の礎の構築」
 *王仏冥合(王法としての政治と仏法とが自ずと一つに溶け合うこと)
 *公明党が宗教政党としての性格を持っていたことが示されていた
 ☆第二「人間性社会主義にもとづく個人の幸福と社会の繁栄の一致する大衆福祉の実現」
 *大衆福祉の実現は、公明党のスローガンとして用いられた
 ☆会員の多くは都市に出てきたばかり
 *苦労しながらかろうじて生活を成り立たせている庶民が中心
 *会員にとり、福祉の恩恵に与かることができるということは大きな支えになった
 ☆会員が公明党を支持する理由の一つ
 *公明党が大衆福祉の実現、その拡充に邁進してくれたからである
 *実際的な利益が得られなければ、会員も公明党を熱烈には応援してこなかったであろう
 ☆会長の座が戸田から池田氏にバトンタッチされ変わった点
 *公明党か衆議院選挙にも候補者を立てた
 *当時の創価学会は、池田会長以下、誰もが政権を奪取できることを夢見ていた
 *池田氏は世間から公明党の「事実上の党首」と見なされていた
 *公明党が政権の座につくということは、池田氏が首相になることを意味した
 ☆「池田先生のために選挙活動で頑張る」
 *そうした意識が会員のあいだに生まれたのも、こうしたことが関係していた
 *「親が創価学会」の人間は知らないので、選挙に対する熱意の差が生まれる要因
消えた「池田大作首相」の夢
 ☆この夢は、 言論出版妨害事件によっり創価学会と公明党が世間から批判を受けた
 ☆両者は政教一致だという批判を浴びたた
 *創価学会と公明党は政教分離していることを明確にしなければならなくなった
 ☆公明党の議員は、創価学会の幹部の職を退いた
 *池田氏も自身が政界に出ないことを約束した
 ☆公明党も、綱領から信仰にかかわるような文言を削除した
 ☆創価学会の政界進出は大きな転換点を迎えた
 *公明党が第一党となって単独で政権を担う
 *その際に池田氏が首相になる
 *そうした夢 を、これ以降は抱けなくなった
 ☆創価学会・公明党、池田氏個人にとっても大きな痛手となった
 ☆公明党は、国民政党に脱皮していくことを迫られた
 *当初、公明党は、創価学会以外の支持者を求める方向で模索をおこなった
 ☆うまくいかず、選挙は創価学会の会員に頼るという方向に逆戻りした
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『親が創価学会』








大阪事件、王仏冥合、大衆福祉(ネットより画像引用)

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