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「新天皇の即位にあたって」 共産党志位委員長が談話 

2019年05月01日 外部ブログ記事
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5月1日付しんぶん赤旗に「新天皇の即位にあたって 志位委員長が談話」が掲載されました。

 日本共産党の志位和夫委員長は、次の談話を発表しました。
 ◇
 新天皇の即位に祝意を表します。
 象徴天皇として、新天皇が日本国憲法の精神を尊重し擁護することを期待します。

「日本共産党綱領」〔憲法と民主主義の分野で〕では天皇制について次のように規定しています。
・・・・・・・・
天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。
党は、一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。
(傍線は管理人)
・・・・・・・・
しんぶん赤旗3面には『天皇「代替わり」儀式の問題点 識者に聞く』が掲載されました。


宗教学者・上智大学特任教授島薗進さん
祭祀足場に神聖化狙う動き

 代替わり儀式において一番懸念すべきなのは国家神道とのつながりです。
 明治維新から1945年の敗戦まで、天皇は天照大神からの「万世一系」の切れ目のない皇統をつぐ神聖な存在で、その天皇が治める日本は世界に比べるもののない「万邦無比」の優れた国だという信念、天皇崇敬が教育や祝祭日、軍隊、メディアなどを通じてつくられました。
 そうした神権的国体論体制をつくるうえで、皇室祭祀が中心に据えられました。今の皇室祭祀は明治期に大幅に拡充されたものです。現在、皇居にあるような宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)、神武天皇の即位日とされる2月11月の紀元節、神武天皇・皇后を祀る橿原神宮なども明治維新後につくられました。天皇自身が祭祀を行う天皇親祭が始められ、それに全国の神社の行事を連動させました。伊勢神宮に天皇が参拝するのも明治天皇からです。
 新穀を天照大神にささげ、天皇が神と共に会するという大嘗祭は、大正期以前は宮中の限られた空間で行われ、国民の多くは関与していません。大規模な代替わり儀式は大正になるときからです。
 天皇が神聖な存在だと国民に印象付ける大がかりな国家的行事や明確な神道儀式である大嘗祭への公費支出には疑念があります。
 即位儀式とされた剣璽等承継の儀は、神話の中で天照大神が天孫に授けたという「三種の神器」を引き継ぐもので、日本の王権が神聖である根拠だという宗教的理念に深冬関わるものです。これを国事行為とすることは政教分離の点確問題です。
 戦後、GHQ(連合国軍最高司令官給司令部)のいわゆる「神道指令」は、国家神道のうち、神社神道を国家から切り離し民間の宗教団体としました。しかし国家神道の重要部分であった皇室祭祀には手を付けず、皇室祭祀はほぼそのまま残りました。
 天皇の位置づけは、戦前の「万世一系」を掲げた憲法から、新憲法での象徴天皇へと天皇の神聖性を抑える方向に転換しました。
 新憲法の下で皇室祭祀は皇室の私的なものとなりましたが、同時に天皇は日本国の象徴、国民統合の象徴であり公的な存在なので、そこに曖昧さがあり、天皇の代替わりに露呈します。
 皇室祭祀を公的なものとするのは、信教の自由と政教分離を定めた憲法20条に反します。現憲法の下では、特定の宗教や信念体系が国民に押し付けられてはならないのです。 皇室祭祀を足場として神聖天皇を求める動き、例えば天皇の役割は宮中祭祀にこそあるという主張や、靖国神社に国家的性格を与えようという日本会議などの運動が続いています。
 それに対する歯止めとして、思想・良心の自由を保障した憲法l二9条、それと結びついた20条、公金の宗教団体への支出を禁じた89条があります。
 戦前、国家神道、天皇崇敬は一般の宗教とは別だとして国民に押し付けられ、広められ、多の国民が天皇のために命を投出すという悲劇的結末に追いまれました。植民地化や侵略など対外的な膨張主義はむろん、国民自身の命が軽んじられた歴史があります。
 近代の形成期につくられたものは根が深く、新憲法による転換が押し戻される可能性もあるわけです。ことに歴史を肌身でる世代がいなくなる中で、メディアや教育でも認識が甘くなています。
 先日の天皇夫妻の伊勢参拝の際にテレビニュースに剣璽が天とともに伊勢に行く様子が映りました。「剣璽動座」といって璽の宗教性、天皇取神聖性をすもので、従来は映されなかたものです。戦前、天皇崇敬猛威を振るった時代の記憶が薄れゆるみが出ている。あらたて歴史を認識しなおすことがめられています。


歴史学者・神奈川大学名誉教授中島三千男さん
国民主権の意味あいまいに

  今度の天皇「代替わり」は、憲政史上初の天皇の生前退位によるものです。安倍晋三政権はもともと生前退位には否定的でしたが、国民の世論に押される形でそれを認めざるを得なくなりました。
 ところがそれ以降、4月1日の新元号「令和」の決定・公表過程にみられ奄ように、天皇「代替わり」関連の儀式・行事を政権の絶好の浮揚策として、最大限に利用しようとしています。まさに天皇の政治利用、一政権による天皇の私物化といえます。
 政府は、退位、即位にかかわる儀式挙行の「基本方針」を、?憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとすること?平成の「代替わり」儀式は、現憲法下で十分な検討が行われたうえで挙行されたものであり、今回も基本的な考え方や内容は踏襲されるべき−としています。(2018年4月3日閣議決定)
 ?についていえば、「平成の代替わり」が予想された時期には、国会で野党議員が儀式について質問しても、政府は昭和天皇が重体であることを理由に一切答弁せず、儀式の内容は開始直前の閣議で唐突に決めむれました。「現憲法下において十分な検討」が行われたとは到底いえないものです。
 ?については「憲法の趣旨」より「皇室の伝統」を重視するものとなっていますが、そもそもこの「皇室の伝統」とは何かを考えてみる必要があります。
 「代替わり儀式」は天皇権力のあり方や、ぞの時代の支配的な思想、宗教によって大きく変化してきました。政府が喧伝するような王朝絵巻風、純神道式の儀式がずっと隙いてきたわけではありません。
 奈良時代以降、仏教の興隆が王権の興隆に直結するという仏教的国家観が優勢になり、鎌倉時代から幕末の孝明天皇までの550年間、「即位濯項」という神仏習合的な即位の儀式が行われてきました。
 服制も、律令制が取り入れられ即位の軋が本格的に行われるようになって以降、中国の皇帝にならって中国風(唐風)の服制が孝明天皇までの千数百年間続いてきたのです。
 長く続いてきた神仏習合的、中国風の儀式が1868年8月の明治天皇の即位礼のさいに廃止され、1909年の「登極令」で、国家神道の核心的教義というべき「天皇制正統神話」(神勅神話・建国神話)に基づく諸儀式が整備されました。
 天皇が束帯に身を包む王朝絵巻風、純神道式の儀式は、いまから150年前に始まったもので伝統というより長い日本ののなかでは新しい儀式であり、明治以降に新たに「創られた伝統」にすぎないのです。
登極令に規定された「賢所大前の儀」や「剣璽渡御の儀」、「大嘗祭」などの儀式は、徹頭徹尾、天皇制正統神話を目に見える形で演じるためのものです。
 戦後、日本の「国のかたち」は大きく転換し、神権的天皇像は否定され、国民主権のもと政教分離が規定されました。「代替わり儀式」が時代によって大きく変化するものである以上、戦後初の即位儀礼であった30年前の「平成の代替わり」は、戦前とはまったく異なるものとして行われるぺきでした。にもかかわらず、戦前の天皇制正統神話に基づく登極令に準じて行わ、今回もまたそれを踏襲して行われようとしています。
 戦後の変革、「国のかたち」の意味をあいまいにすることにつながるこうした動きに対して、私たちは厳しい目で見つめる必要があると思います。


(了)

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