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東京女子大学同窓会有志の新宿戦跡ツアー 

2019年03月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



恒例となった東京女子大学同窓会有志の戦跡ツアー第6回目は、新宿戦跡ツアーです。
午前10時、都営大江戸線若松河田駅に集合した後、「小笠原伯爵邸」、「大久保犬屋敷跡プレート」、「陸軍砲工学校境界石」、「関東軍第731部隊長石井四郎自宅」、「陸軍東京第一病院跡と国立国際医療研究センター資料室」、「陸軍軍医学校正門跡」、「国立感染症研究所内人骨保管場所」、「陸軍防疫研究室跡」をご案内しました。

昼食休憩時に、東女同窓会「ふみ子の会」のイベントチラシと冊子「斉藤百合 粟津キヨ 失明女子を考える会 そして今」を頂きました。
チラシと冊子の一部をアップ致します。





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はじめに

●始まりは『ふみ子の海』の上映会
 東京女子大学には、創立以来、理解をもって視覚障がいの学生を受け入れて来たという歴史があります。私たちにそのことを気づかせてくれたのが、映画『ふみ子の海』(2007年、近藤明男監督)でした。これは、戦争中の1943年に女子大に入学した粟津キヨ(1919−1988年)の幼女期をモデルにした同名の小説(市川信夫著、理論社)の映画化で、幼くして視力を失いながらも明るく積極的なふみ子(キヨ)が生き生きと描かれています。
 同窓会埼玉支部は、2009年にさいたま市で公開映画会を行い、視覚障がいの市民を含む300名余の参加を得ました。その後韓国語字幕をつけ、2011年、12年には韓国ソウルの誠信女子大学と駐韓日本大使館の文化院とで映画会を行い、いずれも予想以上の観客を集めて好評を得ました。
ところが同窓生の多くが「まだ見たことがない」といいます。そこで園遊会で上映会をということで、2013年、14年に行いました。

●粟津キヨから斎藤百合へ
 この間に、幸運にも粟津キヨの同級生として女子大に学んだ伊藤泰子さん(1947年研究科卒)が私たちの仲間に入ってくださり、キヨと共に行った「失明女子を考える会」の活発な働き、師・斎藤百合(1891−1947年)の生涯を綴った名著『光に向って咲け−斎藤百合の生涯−』(1986年、岩波新書)の刊行についても具体的に学ぶことができ、百合への関心が高まったわけです。
 斎藤百合は、開校と同時に第1期生として女子大に学び、卒業後には「陽光会ホーム」を設立、多くの盲女性たちを育てて日本のヘレン・ケラーといわれましたが、教えを受けた一人が粟津キヨでした。キヨは斎藤百合に導かれて女子大に学び、百合の教えを実践したのです。

●『鎮のない家に光あふれ』の上映会(2015・4・29園遊会)
 この映画は、百合の生涯を描いたドキュメンタリー映画で、1996年に渋谷和子監督で製作されたものです。映画会では、キヨの同級生や「失明女子を考える会」で活動された先輩方にも参加していただき、貴重な話し合いが行われました。私たちは、百合の視覚障がいをもつ人々の社会的地位向上をめざす強い信念、それを学び実践したキヨの行動力、そしてキヨを助けた「失明女子を考える会」の働きに強く心を動かされました。そして、この流れの根底には、女子大初代学長である新渡戸稲造先生の人間教育への理念があることを学びました。

●創立100周年を迎える“今”
 こうした歴史は、現在知る人も少なく、次第に忘れ去られようとしています。間もなく創立100周年を迎える今、改めてこの歴史を学生・同窓生に知っていただき、これからの大学のあり方、学生・同窓生のなすべきことは何かを共に思い巡らしていきたいとの思いで関連の資料をまとめました。お読みいただければ幸いです。
 2017年4月 東京女子大学同窓会埼玉支部小澤秀子

<増刷に当たって>
 この冊子が、「学生たちが東京女子大学の歴史に関心をもつきっかけになれば」と、このたび伊藤泰子さんから費用のご提供がありました。そこでメンバーを一新、自主グループ「ふみ子の会」として増刷・配布を行うことに致しました。今後は、関係各位のご指導・ご支援をいただいて、多くの学生たちに読まれるよう工夫していきたいと考えています。
 2017年11月 東京女子大学同窓会 ふみ子の会 一同
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(了)

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