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中東の歴史6(アレキサンドロス〜ササン朝ペルシャ) 

2019年03月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中東の歴史6

ロ―マの“ライバル”となったイラン人の王朝
オリエント巨大帝国の系譜
 ☆アレクサンドロスの帝国が最初
 ☆セレウコス朝(アレクサンドロスが広大なオリエントの領土を受け継いだ)
 ☆パルテイア(遊牧民のイラン人が建国した)
 *パルテイアは「共和政ローマ」の東側に位置する強国
 ☆ササン朝ペルシャ(農耕民のイラン人が建国した)
 *ササン朝ペルシアは「帝政ローマ」の東側に位置する強国
 ☆長年にわたつて、オリエント巨大帝国はローマのライバルでした

イスラム教「神の前の絶対平等」を合言葉に急成長
大帝国の争いが、イスラーム教を生んだ
 ☆ササン朝とビザンツ帝国が抗争を繰り広げている7世紀前半の西アジア
 ☆7世紀初頭の中東地域は、ササン朝とビザンツ帝国の抗争の場でした
 ☆この時代、商人たちは戦場での危険を避けた
 *大きくアラビア半島へ迂回して、交易を行っていた
 *アラビア半島の紅海沿岸メッカ、メデイナなどの都市が経済的な発展する
 ☆経済発展は、「貧富の差拡大」も生み出す
 *お金を手にしたので社会の分断や対立を招く
 ☆イスラム教の創始者ムハンマドがメッカに登場する
 *メッカの貧富の差の対立に悩んでいたムハンマド
 *瞑想中に天使ガブリエルと出会い「ただ1つの神」の教えを次々と授かる
 *ハンマドは預言者(神の教えを授かった者)であることを自覚した
 ☆その教えイスラームを世に広めることをムハマンドは決意した
イスラームの「元年」は「聖なる移動」から
 ☆ムハンマドの説く教えの中心「すべての人は神の前に絶対平等」です
 *「すべての人は平等だ」と説くムハンマドに、貧富の格差に悩む貧しい者たちは興奮
 *「そうだ!そうだ!」とムハンマドになびく
 ☆富める者は、ムハンマドの平等の教えを、自分たちを攻撃する危険な思想ととらえる
 ☆ムハンマドに迫害を加える
 *メッカでの激しい迫害に身の危険を感じたムハンマドは、メディナに逃れる
 *メディナ信仰を広げていきます
 ☆この移動のことをヒジュラ(聖なる移動)といいう
 ☆その後、ムハンマドは、メッカを攻略して改めて聖地に定めると信者を拡大する
 ☆アラビア半島のほぼ全域を支配下におさめることに成功した

知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『世界史の教科書』










中東の歴史6(アレキサンドロス〜ササン朝ペルシャ)
(『世界史の教科書』記事、ネットより画像引用)

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