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「生きていた英霊」横井庄一と小野田寛郎は、国立医療センターで健康診断 

2019年02月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



国立国際医療研究センター(NCGM)地下1階アトリウムに創立150年記念で特別展示されているパネルの一枚

からだとこころを癒やす

横井庄一さん 小野田寛郎さん


文字起こし
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横井庄一さん

・第二次世界大戦中、グアム島に配属、アメリカ軍が上陸して、戦死と伝えられる。しかしその後、終戦を知らず仲間とジャングルなどに地下壕を掘って隠れる。1972年(昭和47年)1月に、エビやウナギを採る罠を仕掛けに行ったところ、地元の猟師に遭遇。同年2月2日に帰国。空港で出迎えた時の厚生大臣に、「何かのお役に立つと思って恥をしのんで帰ってまいりました」と伝えたという。またその後の記者会見では「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど」と発言したという。

・帰国後、健康診断と健康回復のためNCGMに一時入院し、時代を隔てて大きく変わった戦後の日本に復帰するための、大きなステップとなった。

小野田寛郎さん

・第二次世界大戦中、日本軍の情報将校としてフィリピンのルバング島に配属 。その後、終戦を知らずジャングルに隠れ、1974年(昭和49年)に日本人と接触し、すでに終戦になっている等の情報に触れた。元上官の任務解除命令と帰国命令を受け、同年3月10日、日本軍最後の軍人として、フィリピン軍司令官に軍刀を渡し、降伏意思を示した。この時小野田は処刑される覚悟だったと言われる。 フィリピン軍司令官は一旦受け取った軍刀をそのまま小野田に返した。司令官は小野田を、「軍隊における忠誠の見本」と評したとされる。

・3月12日に帰国後、健康診断と健康回復のためNCGMに一時入院し、横井氏と同様、戦後の日本に復帰するための、大きなステップとなった。

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「生きていた英霊」とは?

当時の厚生省復員局は、横井庄一さんも小野田寛郎さんも戦死と認定して「祭神名表」を靖国神社に送付しました。靖国神社は、「霊爾簿」⇒「裁可」⇒「英霊合祀」の手続きをしたと考えられます。
お二人が生きていたことが判明したので、神社保有の「祭神名簿」等の該当者の項に「生存確認」の旨を記入したと考えられます。

これは、韓国人金希鐘さんが戦死した日本軍人として、合祀されている事に対して、靖国神社に霊爾簿から削除しろと訴訟している証書から推測しました。
その訴訟証書が手元にありますのでアップします。



靖国神社は、金希鐘さんに「調査不備等により戦死されたと誤認し失礼を申し上げました。つきましては、当神社保有の「祭神名簿」等の該当者の項に「生存確認」の旨を記入致しました。念の為、靖国神社はあくまでも戦没者のみたま(魂)を御祀り致しております。従って、金 希鐘殿は御祀りされておりませんことを申し添えます。何はともあれ、御元気で御過ごしなさっておられましたことは、此の上ない喜びであります。今後共、御平安に御過ごし下さいますよう祈念申し上げます。」という書状を送達しています。

靖国神社は、金希鐘さんも横井庄一も小野田寛郎も何故に、「調査不備等により戦死されたと誤認」したのでしょうか。

キーワードは「1945年11月19日浄夜、最後の臨時大招魂祭」です。
岩波現代文庫・赤澤史朗著「靖国神社」から抜粋します。
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 つまりこの時の臨時大招魂祭では、霊璽簿が作成できないまま、今後調査が済み次第合祀することとして、日中戦争と太平洋戦争の戦没者で未合祀の霊を、氏名不詳のまま一括して招魂したのであった。そしてこの方式は、「有末機関(対連合軍陸軍連絡委員長となった有末精三を中心とする旧軍情報関係者の集団)を通じて種々折衝の結果、占領軍の承諾を得」たという(「特輯 合祀問題解説」、『靖国』十一号、一九五三。括弧内の説明は引用)。そしてこれら一括招魂された氏名不詳の祭神が、合祀にふさわしいものと確認するために、十一月二〇日に招魂斎庭で異例の天皇の行幸・親拝がおこなわれたというのであった(「合祀は今も行はれてゐる」、『靖国』一〇号、一九五三)。これ以降靖国神社では、占領軍に対しても遺族に対しても、靖国神社では今回の戦争の戦死者の霊はすべて祀っているのであり、今はただすでに祀られた祭神の調査と合祀を、事後処理的におこなっているに過ぎないといった、おそらくは誰にとっても判りにくい論理での説明をおこなうようになる。
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「誰にとっても判りにくい論理」と赤澤先生は論破されていますが、「靖国神社では(1945年11月19日には霊爾簿がなくても)今回の戦争の戦死者の霊はすべて祀っているのであり、今はただすでに祀られた祭神の調査(旧厚生省復員局・援護局の業務)と合祀(春季・秋季例大祭に行われる霊爾奉安祭です)を、事後処理的におこなっている」のでしょう。

平たく言えば、靖国神社の神さまは、日中戦争と太平洋戦争で戦歿した全ての軍人・軍属を招魂齋庭に御魂を招き(降神)ましたが、政府や神社の人間どもの事務的処理が間違っているのです。ですから金さんも横井さんも小野田さんも生きていた事を判っていましたので、御魂は招いて(降神)いませんという事なのでしょうね。





現在の招魂齋庭


一部を除いて駐車場となっています。


(参考資料)対馬丸の学堂も東條英機や吉田松陰と一緒に246万余柱の英霊として合祀されています 

≪旧厚生労働省援護局 戦没者身分等調査票の対象者≫
(靖国神社は祭神名票とする)
一、戦地、事変地および終戦後の外地で戦死、戦傷死あるいは戦病死した軍人と軍属(軍人でなく軍に属する文官・文官待遇者など)
二、戦地、事変地および終戦後の外地で公務により受傷罹病し、内地に帰還療養中に亡くなった軍人と軍属。
三、満州事変以降、内地勤務中に公務のため受傷罹病し亡くなった軍人と軍属。
四、平和条約第十一条により死亡した軍人と軍属(注・戦争裁判受刑者のこと。靖国神社では「昭和殉難者」という)。
五、未帰還者に関する特別措置法による戦時死亡宣告により公務上負傷し、または疾病にかかって亡くなったとみなされた軍人と軍属。
六、軍の要請に基づいて戦闘に参加し、その戦闘で負傷、または疾病にかかって亡くなった準軍属などの人(満州開拓団員、満州開拓青年義勇隊員、沖縄県民、南方および満州開発要員、洋上魚漁監視員)。
七、準軍属などで特別未帰還者の死亡者(ソ連、樺太、満州、中国に抑留中に亡くなった人。戦時死亡宣告により亡くなったとみなされた人)。
八、国家総動員法に基づく徴用または協力中に亡くなった人(学徒、徴用工、女子挺身隊員、報国隊員、日赤救護看護婦)。
九、船舶運営会の運航する船舶の乗組員中亡くなった人。
十、国民義勇隊の隊員で業務に従事中に亡くなった人(広島原爆死亡者)。
十一、旧防空法により防空に従事中の警防団員。
十二、阿波丸(交換船)沈没に死亡した乗員。
十三、沖縄の疎開学童死没者(対馬丸遭難)。
十四、外務省などの職員(関東局、朝鮮総督府、台湾総督府、樺太庁)など。 

(続く)

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