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葵から菊へ
国立医療センター創立150年記念の特別展示パネル
2019年02月23日
テーマ:テーマ無し
国立国際医療研究センター(NCGM)は、昨年創立150年となりましたので、地下1階アトリウムに、1階の資料展示室から沿革パネル、明治時代の医学書、看護学校の文献を移動し、特別展示をしています。
NCGMの公式サイト「沿革」から
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沿革
病院誕生
明治元年に山下門(現在の帝国ホテルのあたり)に兵隊仮病院が設けられました。後に数多く設立される陸軍病院の最初のものであり、国立国際医療研究センターの前身です。そのころの我が国は戊辰戦争中であり、その傷病軍人を診療するため、同様の仮病院が各所に設けられました。
明治3年に大阪衞戍病院(現在の大阪医療センター)が、その後、仙台、熊本および広島と当時の陸軍の駐屯地(師団司令部)に相次いで病院が創設されましたが、東京だけは経緯が異なります。明治4年に軍医寮附属の本病院(軍事病院)が創設され、各仮病院の患者は、軍事病院に全て移されました。軍事病院は明治6年に陸軍本病院と改称し、軍医総監が院長として任命されました。病院のみならず、陸軍一般の医事を総括しました。
陸軍本病院は、半蔵門の近くの麹町元山王の三宅氏(田原藩)の上屋敷跡に建てられました。現在の国立劇場、最高裁判所のあたりです。上の写真は、明治7年に竣工した管理棟です。和洋折衷建築であり、明治23年に発行された東京名所図絵にも掲載されました。
「陸軍衛戍病院は半蔵門外東の堀端に在り陸軍々人の病院あり元陸軍病院と云へり」
と紹介されています。
以降、明治新政府の制度の変更に伴い、目まぐるしく名称が変わります。
明治14年 東京陸軍病院
明治19年 東京鎮台病院
明治21年 東京衛戍病院
明治39年 東京第一衛戍病院
戦争〜そして
明治時代の大きな2つの戦争、日清戦争と日露戦争では、予備病院が開設され、多数の傷病軍人の治療を行いました。日露戦争時の最も多かった時期には13,294名もの患者を収容しました。写真は当時の病棟です。
我が国初のレントゲン設備が導入されたのも、この頃です。その後、昭和4年に現在の地、新宿区戸山町に移転します。
太平洋戦争末期には、全国各地に疎開し、多くの分院が設立されました。各分院は終戦後に独立し、国立病院となりました。
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平凡社刊「地図でみる江戸東京の今昔 江戸東京大地図」から明治16(1883)年「霞ヶ関」と明治17(1884)年「赤坂見附」を管理人が貼り合わせました。
沿革には、「明治14年 東京陸軍病院」とあります。
(続く)
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