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尺八と横笛吹きの独り言

「正調串本節」・・・・・和歌山県 

2019年02月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●「正調串本節」・・・・・都山譜

 採譜音源はYouTube・・・・・「串本節」 COVER 清紅さん。
河童さん譜面を参考にしましたが、節回しが地方によっては違うところがあるようだ。今後、譜面修正もあるだろう。今度会員の方がmこの唄を選曲しましたのでこの曲を採譜してみました。採譜番号は299番であと一つで300になる。
2015(H27)3/27〜29 夫婦で熊野古道旅行に行ってきました。和歌山の串本も寄りました。



●歌詞
〽 (ハー オチャヤレ)
ここは串本 向かいは大島  仲をとりもつ 巡航船エジャナイカ エジャナイカ ナイカ (ハー オチヤヤレ) 
〽 
ここは串本 向かいは大島  橋をかけましょ 船ばしを

〽
潮岬に 灯台あれど  恋の闇路は 照らしゃせぬ
〽障子あくれば 大島ひと目  なぜに佐吉は山のかげ〽わたしゃ串本 両浜そだち  色の黒いは ごめんなあれ
〽
一つ二つと橋杭たてて  心とどけよ 串本へ 
   
●YouTube・・・・・「串本節」 COVER 清紅さん

 https://youtu.be/Qm9GAlFcaZg




●「串本節」について
・この唄は、南紀州の港町串本町で唄われた酒盛り唄である。串本港は帆船時代、近海船の風待ち避難港として賑わった港町で、江戸末期ごろ、各地をまわる門付け芸人が伝えた「オチャレ節」「エジャナイカ節」が串本に定着して「串本節」になったといわれている。串本節が有名になったのは、大正16年米国の水上機が串本湾に着水し、出発の日程が遅れた折り、当時の町長が宴席を設け取材記者たちに披露したのが好評を受け、各地に伝えられた。日本の民謡(秋田・民謡企画出版)より転載。




・和歌山県串本地方の民謡。
 幕末ごろ、他国の門付けが伝えたものといわれる。囃子詞(はやしことば)から「オチャヤレ節」とよばれ、祭礼の御輿(みこし)行列に歌われていた。のち座敷歌となり、大正末期に全国に広まった。

 

・串本地方の民謡で、花柳界の酒席の騒ぎ唄。江戸末期、関東地方の小念仏踊りが「おいとこそうだよ」となって伝わり、「おちゃやれ節」となって唄われていたものが、大正末期に現名に改められて流行した。

 

・串本は風待ちや台風の避難港としてにぎわい、港町の酒席の騒(さわ)ぎ唄(うた)として歌われてきた。この唄の源流は、千葉県の粉屋の娘を歌った『白桝(しらます)粉屋』という唄で、これが江戸時代末期に「おいとこそうだよ」という唄を生み、旅芸人か獅子舞(ししまい)かの口から串本地方にも伝えられたものであるという。囃子詞(はやしことば)に伊勢(いせ)お陰参りの「エジャナイカエジャナイカ、オチャヤレ」がつき、「エジャナイカ節」あるいは「オチャヤレ節」になり、神社祭礼の神輿(みこし)行列唄や酒宴の唄として歌われていた。1924年(大正13)アメリカから水陸両用機が串本にきた際、取材で集まった京阪神の新聞記者たちにより紹介され、当時の上方(かみがた)漫才師砂川捨丸(すてまる)がレコードに吹き込んでから、『串本節』として全国的に広まった。[斎藤 明]さんより転載

 

●紀伊大島(きいおおしま)



 和歌山県東牟婁郡串本町の沖合い約1.8kmの海上に浮かぶ面積およそ9.68km、周囲28kmを誇る和歌山県下最大の島である。元来より大島と呼ばれてきたが、全国的に大島の名を持つ土地は数多く、それらとの区別のため「紀伊」を冠し「紀伊大島」と呼ばれる。また、串本大島とも呼ばれる。人口はおよそ2,000人で、和歌山県で唯一の離島振興対策実施地域ともなっていた。1890年には、日本とトルコの友好関係のきっかけとなったエルトゥールル号遭難事件が当島の沖で発生した。

   フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

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