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天皇の全仕事とは(その二)「秋篠宮眞子様と小室圭氏のこと」 

2019年01月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



秋篠宮眞子様の婚約者小室圭氏につて、女性週刊誌だけではなくマスメディアが毎日毎日話題にしています。
「眞子内親王殿下のご婚約内定について」
平成29年9月3日
宮内庁
眞子内親王殿下には,本日,小室圭氏と御婚約が御内定になりました。
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「眞子内親王殿下と小室圭氏とのご結婚に関する儀式,行事について(今後の予定)」
眞子内親王殿下と小室圭氏とのご結婚に関する儀式,行事については,以下のとおり行われる予定です。

項目
詳細
納采の儀
平成30年 3月 4日(日)
告期の儀
平成30年10月 7日(日)
賢所皇霊殿神殿に謁するの儀
平成30年10月31日(水)
朝見の儀
平成30年10月31日(水)
入第の儀
平成30年11月 4日(日)
ご結婚式
平成30年11月 4日(日)
・・・・・・・・・・・・・・
「文仁親王同妃両殿下御感想」
本日、天皇陛下のご裁可をいただき,私たちの長女,秋篠宮眞子と小室圭さんとの婚約が内定いたしました。
小室さんと娘は,約5年の歳月をかけて,双方の気持ちを確認しながら結婚に向けての話を進めてきました。内定までの5年は,私たちの時よりも長い期間になり,二人の意思を確認するのには十分な時間であったことと思います。私たちは,その二人の意思を喜んで尊重いたしました。
本日は,あくまで婚約が内定したことの発表であり,今後いくつかの行事を経て結婚ということになります。私たち家族は,その日を迎えることを楽しみにしております。
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「眞子内親王殿下のご結婚関係儀式等のご日程の変更について」
平成30年2月7日
宮内庁
眞子内親王殿下の納采の儀を始めとするご結婚関係儀式等は,後日に延期することとなりました。
変更後のご日程については改めて発表することといたしますが,来年は一連の重要な儀式等が執り行われることから,それら一連の儀式等が滞りなく終了した再来年になる見込みです。
この度のご日程変更に際し、眞子内親王殿下がご自身と小室圭氏お二方のお気持ちを記しておられますので、ご紹介いたします(別添資料)。
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『本日、天皇陛下のご裁可をいただき,私たちの長女,秋篠宮眞子と小室圭さんとの婚約が内定いたしました。』(傍線は管理人)
元産経新聞社宮内記者であった山本雅人著「天皇陛下の全仕事」に下記のような記述がありす。
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(略)
 変わったものでは、平成一六(二〇〇四)年一二月一日の執務で天皇陛下が決裁された書類に、長女の紀宮さま(現・黒田清子さん)と黒田慶樹さんの「ご結婚の件」というものがあった。陛下がそこで許しを出され、それを受けて同日、宮内庁長官がご婚約内定発表の記者会見を行った。これなどはまさに皇室(天皇家)内部の事項であり、内閣からの上奏書類とは性質の異なる典型的なものである。
(略)(傍線は管理人)
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秋篠宮眞子様と小室圭氏の人格識見を貶めるようなテレビ報道や週刊誌記事について論評する立場ではないのですが、明仁天皇が「裁可」されたことが覆ることはないように考えるしかないでしょう。「裁可」とは、「天皇無答責」天皇つまり国家(国体)は間違いを犯さない、一度決裁したことは履がすことはないということです。
その実例が、明治神宮の祭神「明治天皇と昭憲皇太后」のことです。明治神宮は宮内省に、貞明皇后に直すことを二度も願い出ましたが、「裁可」したことは覆せないと不可になりました。
天皇家は孫の結婚も、祖父である明仁天皇が「裁可する」という「家父長制」が続いている事実を認識しましょう。
宮中祭祀で一番重要な新嘗祭は、皇后も女性皇族も室内から出られません。
この考えから、新天皇の大嘗祭も同じことを踏襲していくと安倍政権は発表しました。
戦前の「絶対主義的天皇制」から変わらない「本質」を引き摺っているのが「象徴天皇制」です。

リベラルな識者にも、明仁天皇は平和主義者だと評価する方がいます。
確かに沖縄県やペリュリュウ島など激戦地で慰霊の旅を続けてきましたが、余りにも保守的な安倍首相と対比しているからでしょう。
「お言葉」の中で、満州事変から歴史を学びましょうと語られましたが、それは東京裁判で追及された歴史です。日本の海外侵略の歴史を学ぶならば日清戦争・日露戦争から、さらに遡って琉球処分から学ばなくてはなりません。そこに明仁天皇の限界というか、目くらましがあるような気がしています。
奉安殿で「ご真影」を拝まされ、「大きくなったら兵隊さんになりたかった」国民学校生徒だった管理人は、天皇制廃止論者です。

昭和10(1935)年陸軍省つはもの編輯部発行「陸軍寫眞帖」より
「大元帥陛下」(裕仁天皇34歳の頃)
この写真だけ、パラフィン紙が貼られています。




(了)

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