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雑感日記

ミシュランの会長がルノーの会長になった 

2019年01月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★『ミシュランの会長がルノーの会長になった』というニュースが流れた。
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今の時代『ミシュラン』を知らない方などおられないと思うが、今から50年以上も前の1960年代に『ミシュラン』を知ってた日本人は少なかったのではと思う。
そんな頃の『ミシュランの話』をちょっと。
 その頃、私はカワサキで二論レースに関係していて、特にロードレースでは「タイヤの性能」がタイムに直接関係することをよく知っていたのである。
今では『日本のブリジストンも、ダンロップも』世界有数のタイやメーカーになっていて、その性能も間違いなく『世界のトップレベル』であることは間違いないのだが、1960年代には日本のタイヤではタイムが出なくて、カワサキなどは『英国ダンロップ』を使っていたし、フランスのミシュランもその名前が挙がっていたのである。
その頃は、ブリジストンも小型のオートバイを作っていて、ロードレースなどでも速かったのだが、1965年の『鈴鹿日本GP』には50ccクラスにBSも出場したのだが、その時使ったタイヤは『ブリジストン』ではなくて、タイヤメーカーの名前は削られていたのだが、海外のメーカーのものを使ったはずなのである。
そんなこともあって、私は『英国ダンロップ』にも『ミシュラン』にもそれなりの関心は持っていたのである。
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★今は『ミシュラン・ガイド』なども日本に上陸して、その名前は殆どの人たちが『ミシュラン』を知っているのだが、『ミシュランガイド』が日本に上陸したには2007年のことだそうで、未だ20年しか経っていないのである。
?私はレース関連を1966年に卒業して、67年度からは仙台事務所で東北6県の代理店担当となり、車で東北6県を走り回る営業になったのだが、その時乗っていた『カローラ・バン』には『ミシュランのラジアルタイヤ』を履いていて、冬季もでスノータイヤなどではなく、そのまま走行していたのである。
当時のミシュランのラジアルでも、それくらいの走行性能はあったのである。
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なぜ、そんなことを? と思われるかも知れぬが、ミシュランタイヤが日本に上陸したのは、次のように書かれているのである。
『ミシュランの日本での本格的なタイヤ販売事業は1964年に始まる。当初は自動車用タイヤの販売はなく、東京モノレールの車両用のみだった。翌1965年から三井物産が日本代理店となって自動車用タイヤの販売を本格的に開始し 1975年に日本ミシュランタイヤ株式会社が設立された。』のである。
 
当時の福島県のカワサキの代理店の福島オート商会が、そのミシュランの代理店もやっていて、福島オートの中西社長に頼まれて『ミシュランタイヤ』の実走行の感想を報告する役目も果たしていたのである。
 レースチームから営業に転じたばかりで『クルマの運転』にはかぶれていたし、『ヒール&トウ』など変速機のあった時代の『レース走行テクニック』などを楽しんでいたのである。
そんなことで冬場の雪道も、日本のスノーではなく、ミシュランで走っていたのだが、それは十分に通用する性能だったのである。
 『ミシュラン』など未だ殆どの人が、知らない時代だったが、関西までその車で出張してきたときに、神戸でスポーツカーに乗った方に『そのミシュランをどこで買われましたか?』と質問されたりしてビックリしたのを思い出す。
 普通には、ミシュランなど買おうにも買えなかった時代だったのだと思う。
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★それから50年経った今は、 タイやよりはミシュランガイドのほうが有名かも知れぬが、今回の日産問題で世の中を騒がしているカルロスゴーンさんに代わって、ルノーは24日の取締役会で、仏タイヤ大手ミシュランのジャンドミニク・スナールCEOを会長とする新経営体制を決めることになったようである。
 いま、日産のタイヤが何を使っているのか知らないが、そのうち「ミシュラン」も使うことになるのだろうか?
 久しぶりに『ミシュラン・タイヤ』のことを懐かしく思い出したのである。
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