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雑感日記

昭和55年(1980)47歳  国内は順調だったのだが・・・・ 

2011年06月13日 外部ブログ記事
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★どうなるかと思っていた国内販社担当は、FX400というヒット商品に恵まれて前年度の1年目で『黒字体質への転換』を果たした。
昭和55年度の2年目もその好調は持続して、結果から言えば、2年続きの黒字計上をすると同時に、約10億円近くもあった累積損失や含み損を消去した上に、その年非常に苦しかった事業本部の損益対策に約3億円を考えたりするようなことになったのである。
量産事業は損益分岐点を超えると、総利益」*台数分がそっくり利益に積み上がっていくのである。
10万円の粗利のある商品が1000台売れると、1億円の利益が積み上がるのである。1万台では10億円である。
『損益分岐点』を如何に低く抑える事業構造にするかがKEYであり、それはトータルシステムをどう組み上げるかと言う問題なのである。
 
 
これは、私の個人の日記からの会社の仕事中心のこの年の1年間の記録だが、いろんなことがあったなと思いだされる。
 
★ 1月に販社グループの定期採用の再開の検討を始めて、秋には10人の新人の採用を決めている。
今のKMJの中心になっている人たちである。
それに対して、1月に富永、山田君というKMJの第1期、2期の先輩たちが、反対の意向を示している。
どちらが正しかったかは解らないが、ひょっとしたら『定期採用再開は間違っていたかも知れない』と、今思ったりもする。
富永君が主張したように、川崎重工が自ら営業人員を採用しないので、カワサキにマーケッテングの解る人材が育たないのだと言うのも良く解る気がする。
この2年ほど後だが、アメリカのKMCの再建には、カワ販から富永、日野君を逆出向させたのである。マ―ケッテングや販社、販売網の解る人材が事業部にはなかなか見つからなかったのである。
 
★この年から、KMCの経営がどんどん悪化していった。 ダンピング問題もあったのだが、スノーモービルも経営の足を引っ張って、予想される赤字は20億に達し、KMCの経営対策が事業本部の大きな課題となった時期である。
事業本部のみならず、川重本社にとっても頭痛の種だったのである。 事業本部の赤字は、当時の造船などの黒字で簡単にプラス、マイナス出来るのだが、そのあと海外販社の赤字との連結決算となるので、本社財務はKMCの赤字問題が大問題だったのである。
前述したように、量産事業は良くなればどんどん良くなるし、悪くなればどんどん悪化する構造なのである。
8月には、アメリカのリンカーンの工場に安藤さん、KMCに本社綜合企画から高田さんが行くことになったし、明石では田崎さんがアメリカ、カナダの担当になっている。
『アメリカを担当したら』という声もいっぱい耳に入ってくるような状況だった。
『単車事業部の赤字、若し自分にやらしてくれたら、直ぐ黒字に出来る』などと上のメモに書いているが、
販社の赤は、特にKMCの場合いは資金対策や頑張りすぎの『人災だから』、システムさえ変えたら、直ぐ正常化すると思っていた。
この年から2年後、最悪の状況になって、実際に担当することになったのである。 そのことはまた2年後の自分史に。
 
★お陰さまで、国内の販社は順調に回復していったのだが、悪かった時代の名残で、10数行との銀行取引が残っていたのである。
最初に営業を経験した東北で、銀行さんの体質はよく解っていたので、この機会に取引の停止と、保証枠の削減という、少々非常識なことをやっている。
財務の素人だから出来たのかも知れない。
全くの逆の論理からだが、
川重の子会社だから銀行は安心して金を貸すのである。
枠があって借りれるので販社は力以上の在庫を持ったりするのである。
それが銀行金利だけならいいのだが、余分な在庫を持って、旧型化して大幅な値引きが発生したりする。
 
カワ販グループの借入枠限度を自らの実力の範囲に置くほうが、より健全経営の近道だということが意外に解っていないのである。
カワ販グループは特約店制を始めた時に、保証金制度を敷いている。 ちょうど10年ほど前の大阪営業所長時代のことだが、これは借入金と同じなのである。
その額が、億の単位である仕組みなのに、銀行借入金などはなくても大丈夫なシステムだと言うことが意識にないのだと思った。
現実にこれから数年後の、ZEYREの頃は、銀行借入金ゼロ、自己資金比率35%という、ちょっと日本では珍しいグループになったりしたのである。
 
★この年、煙草を止めている。
高橋鉄郎さんが、先に禁煙されて、『いまどき煙草を吸ってる奴は・・・・』とボロかすに言われるのである。
『じゃあ 止めます』と 煙草は箱にまだ半分ほど残っていたが、即座に止めた。
それ以来1本も吸っていない。
ちょうど30年ほど前である。
今のような世の中『嫌煙状況』になって、あの時止めていてホントによかったと思っている。
高橋鉄郎さんに感謝である。
 42歳を過ぎて始めたゴルフも、このころは一生懸命練習してようやく40台が出たりして、会社のコンペのハンデーが10になったりしている。
 
★この年、王貞治が現役引退して、巨人の助監督になっている。
別に巨人ファンではないのだが、王が昭和34年巨人に入団したころは、まだ明石球場でキャンプをしていて、入団したころの王をよく身近で見ている。
広岡、長嶋の三遊間、藤田投手などスターいっぱいの巨人だった。
そんなことで、王の引退で、明石球場でのキャンプ時代の巨人も終わったなと思ったものである。
 
★子供たちは息子はサッカー、娘はバスケットに熱中していた。
娘は中学2年生だったが、何故か私の不得意の長距離走マラソンが早くてこの年の春のマラソンでも優勝している。
小学校の4年生から中学2年まで、5年間で4回優勝したと日記に書いている。
家計は豊かではなかったが、まだ中学、高校だったので、そんなに苦しいと言うほどでもなかったのだと思う。
この年も、いい年であった。
 
 
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