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大東亜戦争(1)(大東亜、国家総動員法、宥和政策) 

2019年01月21日 外部ブログ記事
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大東亜戦争(1)

日本は、中国との全面戦争へ
 ☆「支那事変」は確固たる目的がないままに行なわれた戦争であった
 *中国人の度重なるテロ行為に、お灸をすえてやるという感じで戦闘行為に入った
 *気が付けば、全面的な戦いになっていたという計画性も戦略もない愚かなものだった
 *名称は「事変」となっていたが戦争だった
 *この戦いは、現地の軍の主導で行なわれ、政府が止めることができない戦争だった
 (五・一五事件や二・二六事件の影響もあった)
 ☆支那事変が始まった翌年「国家総動員法」が成立した
 *議員たちの脳裏に二・二六事件があり、誰も異議を挟まなくなる
 *狂気の法案で、国力のすべてを中国との戦争に注ぎ込もうと考えていた
 ☆日本は、「オリンピック」と「万国博覧会」を返上した
 *オリンピックと万博の返上は陸軍の強い希望
ヨーロッパで暴れるドイツ
 ☆ヨーロッパではドイツがオーストリアを併合し、チェコを要求する
 *英仏両国は、チェコを犠牲にすれば戦争は回避できると考えた
 *「これが最後の領土的要求である」というヒトラーの言葉を信じ、要求を全面的に受け入れる
 ☆「宥和政策」は、ドイツに時間的、資金的な猶予を与えた
 *宥和政策は、一見危険を回避したように見える
 *より大きな危険を招くことにもつながるという一種の教訓である
 ☆ドイツは、チェコを制圧し、ソ連と「独ソ不可侵条約」を結ぶ
 ☆ドイツは、ポーランドに電撃的に侵攻した
 *ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスとフランスは、ドイツに宣戦布告
ドイツのユダヤ人迫害政策は、日本にも影響を与えた
 ☆「ヒグチルート」
 *東ヨーロッパのユダヤ人は、シベリア鉄道を使って上海のアメリカ租界を目指した
 *ルートの途中にある満洲国の外交部が旅券を出さないため足止めされた
 *関東軍の樋口少将(当時)はユダヤ人に食料・衣服・医療品などを支給した
 *樋口は、上海租界へ移動できるように便宜を図った
 *ルートを通って命を救われたユダヤ人は2万人といわれている
 ☆樋口は、樺太や千島列島に軍事侵攻してきたソ連軍と戦っている
 *戦後、ソ連は樋口をA級戦犯として起訴しようとする
 *世界ユダヤ人会議がアメリカ国防総省に樋口の助命嘆願を行ない、戦犯リストから外させた
 ☆安江仙弘陸軍大佐もユダヤ人救出に尽力した軍人
 *戦後、ソ連軍に逮捕されシベリアの収容所で病死
 ☆杉原千畝(リトアニアの日本領事館勤務)
 *ユダヤ人難民に日本へ入国するためのビザを発行して、約6千人のユダヤ人を救った
 ☆イスラエル建国の功労者の氏名が刻み込まれた記念碑「ゴールデンブック」
 *樋口と安江と杉原の名前が刻まれている
第二次世界大戦(ヨーロッパでは不思議な戦争)
 ☆イギリスとフランスは、ドイツに対して宣戦布告したが、ドイツに攻め込まない
 *8カ月間、陸上での戦いはほとんどなかった
 *イギリス国民の多くは、その年の暮れには戦争は終わるだろうと考えていた
 ☆戦う意思がないと見抜いていたヒトラーは、主力をポーランドに集中させた
 *ポーランドを完全に制圧すると、今度は主力を西部戦線に移す
 *ドイツ軍は、英仏軍に一気に襲いかかり、両国軍を撃破した
 (イギリス軍はヨーロッパ大陸から駆逐された)
 (フランスは首都パリと国土の5分の3を占領された)
 ☆イタリアもイギリス、フランスに宣戦布告した
第二次世界大戦(日米の関係)
 ☆ドイツの破竹の進撃を見た日本陸軍内にも、「バスに乗り遅れるな」との声が上がる
 *新聞もそれを支持した、近衛文麿内閣は「日独伊三国同盟」を締結
 ☆アメリカやイギリスは、日本と戦闘状態にあった中華民国を支援
 *「援蒋ルート」をつぶされたアメリカは、日本への敵意をあらわにする
 ☆「アメリカの対日経済制裁」
 *特殊工作機械と石油製品の輸出を制限、航空機用ガソリンと屑鉄の輸出を全面禁止する
 ☆アメリカから「対日経済制裁」の宣告を受けた日本
 *石油が禁輸された場合を考え、オランダ領インドネシアの油田権益の獲得を目論む
 *日本軍はさらにベトナム南部へと進出した
 ☆アメリカのルーズベルト政権は、日本の南下政策を対米戦争の準備行動と見倣す
 *日本の在米資産凍結令を実施した(イギリスとオランダもこれに倣った)
 *アメリカは、日本への石油輸出を全面的に禁止した
 ☆日本は、全石油消費量の約8割をアメリカから輸入しおり、息の根を止められた状況
 *日本の石油備蓄は約半年分だったといわれている
 *半年後に日本は軍艦も飛行機も満足に動かせない状況に陥るといることだ
 *国民生活も成り立たなくなり、国家と国民の死活問題であった
 ☆日本は必死で戦争回避の道を探る
 *ルーズベルト政権には妥協意思なく、日本を戦争に引きずり込みたいと考えていた
 ☆ルーズベルト大統領の立場
 *大統領に選ばれれば、外国との戦争はしないという公約を掲げて当選していた
 *自分から戦争を始めるわけにはいかなかった
 *「日本から戦争を仕掛けさせる方法」を探っていた
 *日本への石油の全面禁輸はそのための策でもあった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本国紀』












大東亜戦争(1)(大東亜、国家総動員法、宥和政策)
(ネットより画像引用)

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