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世界に打って出る日本(3)(日英同盟・日比谷焼打事件) 

2019年01月14日 外部ブログ記事
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世界に打って出る日本(3)

日本海海戦
 ☆列強同士の戦争は、日清戦争とは比較にならないほどの激しい戦いとなった
 *日本は旅順を陥落させ、奉天会戦でロシア軍を退却させた
 *戦いは日本軍25万人、ロシア軍37万人という空前の大決戦
 *秋山少将の陽動作戦に怯えたロシアの司令官が余力を残したまま撤退する失態
 ☆ロシアには講和する意思はなかった最大の理由
 *バルチック艦隊が、ウラジオストクに向かっていた
 *艦隊がウラジオストクに入れば、日本と大陸の輸送路が遮断される
 *日本の戦争継続が不可能になる
 *実際この時点で、日本の物資や兵員は底をつきかけていた
 ☆日本が勝利するためには、バルチック艦隊を撃滅するしかなかった
 *日本聯合艦隊は、対馬海峡においてバルチック艦隊をほぼ全滅させた
 ☆日本海海戦結果
 *ロシア艦隊は戦艦6隻、巡洋艦5隻を含む21隻が沈没
 *日本が失ったのは小型の水雷艇3隻という、世界海戦史上に残る一方的勝利
 *ウラジオストクに入港できたロシア艦は4隻
 ☆日本海海戦の敗北により、ロシアは戦意を喪失した
 ☆日本の勝利は世界を驚倒させた
 *「劣等人種の有色人種は、優秀な白人に勝てない」との神話を打ち砕いた
 *日本の勝利が世界の植民地の人々に与えた驚きと喜びは計り知れない
 *諸国でも独立運動の気運が高まり、世界の植民地で民族運動が高まる
 ☆「日露戦争」は、後の世界秩序を塗り替える端緒となった大事件であった
 ☆列強諸国の間で日本に対する警戒心が芽生え始めたのもこの頃から
ポーツマス条約
 ☆ロシアに戦争継続の意思を失わせたが、日本にも余力は残っていなかった
 *日本がつぎ込んだ戦費は、国家予算の約8倍にあたる20億円
 *短期決戦で講和に持ち込もうと考えていた日本政府
 ☆アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に仲介を依頼
 *日本側(全権委員は小村寿太郎)の要求はことごとくロシアに拒否される
 *ニコライニ世は、全権大使のセルゲイ・ヴイッテに命令していた
 (一銭の賠償金も一握りの領土も提供してはならない)
 (日本が賠償金にこだわるなら、ニコライニ世は戦争を継続してもいいと考えていた)
 ☆日本政府は、戦争が再開されれば、敗れることになるとわかっていた
 *「賠償金はなし」「樺太の南半分を日本に割譲」との妥協案で講和を結ぶ
 *賠償金を取ることは出来なかったが、極東地域における日本の支配力は拡大した
世界海戦史上に残る一方的勝利となった日本海海戦の裏
 ☆バルチック艦隊の水兵たちは、戦う前に満身創洟の状態だった 
 *7ヵ月もの間ほとんど船の上で過ごしていた
 *彼らは日本の同盟国イギリスの妨害などで、ほとんど港に入れず
 *石炭や水や食料の補給に困難をきたした
 *肉や野菜を新鮮もなく、水兵の多くが飢えや病気に苦しんだ
 *暑さに慣れていないロシア兵が灼熱の赤道を3度も越え
 *多くの水兵が病死している
 ☆バルチック艦隊が日本列島を迂回出来なかった理由
 *燃料が欠乏し最短距離を取るしか方法がなかった
 *良質の無煙炭を補給することができず、艦の性能は落ちていた
 *煙を吹き上げるので、日本の哨戒艇にも早期に発見された
 ☆日英同盟がいかに重要なものであったのかがわかる
 *日英同盟が結ばれていなければ、戦いはどうなっていたかはわからない
 *日英同盟の陰の立役者は、会津藩士「義和国の乱」で活躍した柴五郎である
怒り狂う民衆
 ☆ポーツマス条約の内容を知った日本国民
 *賠償金を取れない政府に対して怒りを爆発させた
 *日清戦争の経験から、戦争に勝てば賠償金を取れると思い込んでいた
 *国民は、日本がぎりぎりの状況であることを知らされていなかった
 *約8万人という戦死者(日清戦争の約6倍)は、日本の歴史上、最大の戦死者数
 *国民からすれば、何の見返りもないのは許せないという気持ちだったのだろう
 ☆新聞社が政府の弱腰を叩き、世論は政府非難一色となった
 *朝日新聞は、「大々屈辱」「講和憤慨」などという激烈な記事を書いている。
 *記事が出た後、全国各地で「ロシアとの戦争継続を求める」という主張を掲げた集会が行なわれた
 ☆東京の日比谷公園で、条約に反対する国民集会が行なわれた
 *民衆は暴徒と化し、内務大臣官邸等、東京市内の13ヵ所に火が付けられた
 *講和条約に賛成した国民新聞社は暴徒に焼き打ちされている
 *この事件は「日比谷焼打事件」と呼ばれる
 ☆「日比谷焼打事件」が、様々な意味で日本の分水嶺となった出来事である
 *「新聞社(メディァ)が戦争を煽り、国民世論を誘導した」事件
 *「新聞社に煽動された国民自らが戦争を望んだ」そのきっかけとなった事件
 ☆昭和に入って再燃し、日本が大東亜戦争になだれ込む一因ともなった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本国紀』










世界に打って出る日本(3)(日英同盟・日比谷焼打事件)
(ネットより画像引用)

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