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寛政年間次々に押し寄せる異国船 

2019年01月03日 外部ブログ記事
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江戸時代5

寛政の改革
 ☆11代将軍家斉は将軍在位50年と歴代で最も長く将軍職にあった
 *政治を幕臣たちに任せ、大奥に入り浸っていたこ
 *男子26人、女子27人をもうけ、陰で「オットセイ将軍」とも呼ばれていた
 ☆松平定信(吉宗の孫〉の寛政の改革
 *定信は、経済中心の田沼意次の政策を憎む
 *祖父の吉宗が行なった米と農業を基本にした政治を目指し改革を行なった
 *定信は、幕府の役人、朝廷や大名、農民や町人に至るまで厳しい倹約を命じた
 *幕府の学問所では朱子学以外の講義は禁じた
 *定信の理想主義は現実とは乖離したもので、将軍家斉との対立で失脚
寛政の改革の頃に流行った狂歌
 ☆「白河の清きに魚もすみかねてもとの濁りの田沼こひしき」(大田南畝)
 *白河は陸奥白河藩主の定信のこと
 ☆「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとは、こいつはたまらん」(南畝の辞世句)
 *死に臨んで和歌などを詠むという「辞世」は、日本独特の文化
1国平和主義の日本
 ☆「化政文化」と呼ばれる町人文化が花開く
 *定信が失脚し、将軍家斉も贅沢三味な生活を送り社会も再び活性化する
 *浮世絵は技術が上がり、多色刷りの豪華絢爛な版画が多数作られた
 *滑稽本などの出版文化も全盛期を迎え、歌舞伎も隆盛を極めた
 *「元禄文化」は上方を中心、「化政文化」は江戸を中心
 ☆18世紀イギリスでは産業革命が起こり、ヨーロッパ全体が近代化していく
 ☆日本は150年にわたる鎖国政策
 *武力や科学技術などでヨーロッパ諸国に大きく後れを取っていた
 ☆日本が鎖国政策をとり、世界に背を向けて「1国平和主義」の夢をむさぼっている
 ☆世界はヨーロッパ人により、植民地化されていった
 *東南アジア諸国も、ヨーロッパの国々に滅ぼされ植民地とされた
 *極東に位置する日本は、最後に残されたターゲットであった
次々に押し寄せる異国船
 ☆寛政年間ロシア船、イギリス船、アメリカ船が次々と来航
 *幕府に通商を要求するようになり、幕府はいずれも拒否した
 ☆家光が「鎖国令」を出した頃は、日本は国力(武力)を持っていた
 *150年の鎖国の時間は、日本の国力低下した
 ☆蝦夷地の厚岸に来たロシア船が最初で、松前藩が拒否した
 *室蘭にイギリス船が来航して港の水深を測っている
 *長崎にアメリカ船が来航して通商を求めている(幕府は拒否)
 ☆「フェートン号事件」
 *イギリスの軍艦フェートン号がオランダ国旗を掲げて長崎に入港
 *オランダ人と思って出迎えたオランダ商館員を拉致した事件
 *長崎奉行は、イギリス側に対して、オランダ人を解放するように求めた
 *イギリス側は、薪、水、食料を要求し、拒否すれば港内の和船を焼き払うと恫喝する
 *長崎奉行は、食料や水をイギリス船に提供し、イギリス船は人質を解放して出航した
 ☆「ゴローニン事件」
 *国後島でロシア軍艦の艦長ゴローニンら8人を、南部藩士が捕まえた事件
 *ロシアの副艦は、本国に戻り、ゴローニン救出のために遠征隊を出すように要請する
 *ロシアはナポレオンとの戦争直前で、日本に遠征隊を送る余裕はなかった
 *この事件は民間人、高田屋嘉兵衛の尽力もあり、ゴローニンらが釈放されて解決した
 ☆イギリス船が通商を求めて浦賀に来航した(幕府は拒否)。
 *幕府はイギリス船に薪と水を与え、交易を禁じる旨を伝えている
右往左往する幕府
 ☆「大津浜事件」
 *イギリスの捕鯨船の乗組員12人が水戸藩の大津浜に上陸した事件
 *イギリス人たちは、船に壊血病の患者が出たので、新鮮な野菜と水を求めてやってきた
 *水戸藩士たちが彼らを捕らえたが、幕府役人は、水と野菜を与えて釈放した 
 *水戸藩では、この幕府の対応を手ぬるいと非難する声が上がった
 *後の水戸藩での攘夷運動につながった
 ☆薩摩沖の宝島にイギリスの捕鯨船の乗組員が上陸
 *牛を強奪しようとして、島民との間で交戦状態となる事件が起きた
 *薩摩藩士がイギリス人一人を鉄砲で射殺した
幕府は「薪水給与令」を廃し「異国船打払令」を出す
 ☆日本沿岸に接近する外国船は、見つけ次第砲撃
 *上陸する外国人は逮捕する
 ☆幕府は外国との交流は一切拒否するという強気な姿勢を内外に示した
 *幕府には、外国船など威嚇すれば逃げていくだろうと考えていた
 ☆アヘン戦争で清帝国がイギリスに負けたことを知った幕府
 *イギリスおよびヨーロッパ列強の強さに怯える
 *同じ年に、それまでの政策を180度転換する政策を打ち出す
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『日本国紀』








寛政年間次々に押し寄せる異国船
(ネットより画像引用)

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