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宣教師が驚嘆した日本人の素晴らしさ 

2018年12月28日 外部ブログ記事
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戦国時代2

羽柴秀吉による天下統一
 ☆信長の突然の死で、信長の家臣の一人であった羽柴秀吉が踊り出る
 *一介の足軽から成り上がった男
 ☆秀吉は信長の後継者争いにも勝ち、天下統一に乗り出した
 ☆秀吉の天下統一は日本全土に及ぶものではなかった
 ☆すべての大名を服従させたにすぎず、中央集権的な政治機構ではなかった
 *地方では、各大名が治める封建社会体制が継続していた
 *秀吉の絶対的な武力の前に反旗を翻す大名はおらず
 *東海に一大勢力を持っていた徳川家康も秀吉に臣従した
秀吉の性格
 ☆宣教師フロイスの評には秀吉が多指症(右手)であったという記述
 ☆足軽から天下人にまでのし上がった秀吉という人物
 *切り落としもせず、異常に強い自尊心と意地のようなものを見る
 ☆差別につながるのを避けるため?
 *歴史書に秀吉の多指症についての記述はない
鉄砲伝来
 ☆種子島に中国船が漂着したが、その船に二人のポルトガル人が乗っていた
 ☆ポルトガル人の持っていた鉄砲に、領主の種子島は関心を寄せた
 *鉄砲は15世紀にドイツで発明されたもの
 *当時の日本人がヨーロッパの鉄砲と火薬の技術をたちどころに吸収
 *量産化に成功し、戦国時代末期の鉄砲保有数は世界一ともいわれている
 *当時の宣教師の多くが日本の軍事力に驚嘆している
 ☆カソリック教会の男子修道会イエズス会の宣教師フランシス・コザビエル
 *ザビエルにより、日本に初めてキリスト教が伝えられた
 ☆織田信長の庇護を受けたことで、信者(キリシタン)を増やすことに成功した
 *一般庶民だけでなく、大名や侍の中からもキリシタンとなる者が出た
 ☆信長がキリスト教の布教を認めたのは、一向宗の力を削ぐためであった
キリスト教の伝来
 ☆日本にやってきた宣教師たちは、日本人と日本の文化の優秀さに感嘆している
 ☆ルイス・フロイスが書き残した文章
 *この国の人々は、これまで私たちが発見した国民の中で最高の人々
 *日本人より優れている人々は、異教徒の中では見つけられない
 *彼らは親しみやすく、 一般に善良で悪意がない
 *驚くほど名誉心の強い人々で、他の何よりも名誉を重んじる
 *彼らは、恥辱や嘲笑を黙って忍んでいることをしません
 *窃盗はきわめて稀で、彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる
 ☆宣教師が共通して挙げているのは
 *日本には庶民にも読み書きのできる者が多いということ
キリスト教の宣教師たちを精神的に苦しめたは禅僧たち
 ☆宗教家で、高い教養を身につけた哲学者でもあった当時の禅僧
 ☆全国各地でキリスト教の宣教師たちに鋭い質問を浴びせた
 *神が愛の神であるならば、なぜ人が罪を犯さないように作らなかったのか? 等
 *質問は、キリスト教の本質と弱点を衝くもの
 *宣教師たちは明確な答えを示すことができなかった
 *フロイスは「禅宗はキリシタンの最も厳しい敵である」と書いている
 ☆宣教師たちが世界の他の地域で出会うことのなかった鋭い知性に遭遇
 *戸惑った様子がありありとうかがえる
太閤検地
 ☆天下統一を果たした豊臣秀吉は全国で検地を行なった
 *検地により、日本の国力が正確に把握された
 *秀吉は、「太閤検地」と呼ばれる
 ☆太閤検地は、画期的な政策であった
 *課税対象者を、土地の所有者ではなく耕作者にした
 *長らく存在していた土地の中間搾取者が一掃された
 *奈良時代から続いていた荘園制度がなくなり、近代的ともいえる土地制度となった
農民から武器を取り上げる「刀狩」
 ☆「刀狩」は、日本を戦国の世から近代社会に変革させようという試みでもあっ
 ☆「刀狩」によってそれまで曖味だった武士と農民
 *区別が明確になり(兵農分離)、後に身分の固定化が進んだ
 *秀吉の「刀狩」は歴史的に非常に大きな意味を持つ政策であった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本国紀』






宣教師が驚嘆した日本人の素晴らしさ(ネットより画像引用)

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