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雑感日記

カワサキMX・OB会 二輪車新聞の記事 

2018年12月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



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★ 二輪車新聞の『編集部便り』というネット記事があることはあまりご存じないと思う。
 そんな『編集部便り』という記事をカワサキを担当されてもう60年もにもなろうとしている衛藤誠記者も発信されている。衛藤さん、ネットはどうも不得手のようでこの記事を書かれるのも大変なご苦労のようなのである。
先日と言ってももうだいぶ前の10月13日に開催された『カワサキモトクロスOB会の記事』がやっとアップされたようなので、『出席者の方々に知らせてあげて下さい』とわざわざ私に電話があったのだが、皆さんに電話をするのも大変なので、そのままここに転載しますので、是非お読みください。
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編集部便り

2018-12-17
カワサキMX・OB会開く “KD”誕生から45周年に集う


「2018年・カワサキ・モトクロスOB有志の会」(大津信代表世話人)が10月13日(土)、兵庫県明石市内のホテルで開催され、関東、九州など全国各地から100人を超える同OBたちが出席した。
この会は、カワサキ・モトクロスの車両開発、レースライダーおよび同関係者などを中心としたOBたちの集まりで今度が2回目の開催。初回はカワサキモトクロスマシン「KD」が誕生して40周年の2013年に、今回はその45周年の節目での開催になったもの。特に今回は、”米寿”(88歳)を迎えなおかくしゃくとした大槻幸雄氏(工学博士/元川崎重工業常務取締役)をはじめカワサキ・モトクロス黎明期の車輌開発に携わった人たちや、往年の活躍したライダーなども多数顔を見せた。
当日は、冒頭、百合草三佐雄氏(川崎重工業/以下KHI・OB)が「本日の集まりを御世話頂いた人たちのご苦労に感謝申し上げる。ここにご出席の皆様は、共にカワサキ・モトクロスに情熱を燃やした仲間たちで、お会いする人たちのお顔に接するごと、その時の場面や出来事が次々と想いだされ、気持ちも若返る思いである」旨のあいさつを行った。
このあと、KHI・MC&Eの太田和男カンパニープレジデントから寄せられた「カワサキ・モトクロスOB有志の会が盛大に開催されたことを心よりお祝い申し上げます。おかげさまで当社のモーターサイクル事業は堅調に推移していますが、これも皆様が築き上げてくださった礎あってのことであり、感謝を申し上げます。今後とも事業のさらなる発展のために、皆様のお力添えをよろしくお願い申し上げますーー」(概要)としたメッセージを大津代表世話人が代読した。
会場ではこのあと、出席者の紹介に続いて▼大槻氏による「マシン開発の想い出」(氏はモトクロスマシンのほか、オンロードの”Z1”開発の父として知られる)▼種子島経氏(KHI・OB)による「モトクロス世界GP挑戦記」(氏はKHI退職後BMWジャパンのMC事業部長・社長を歴任)▼井上一美(KHI・OB)による「レース参戦の思い出」▼平井稔男氏(カワサキモータースジャパン/以下KMJ・OB)による「裾野を広げるチームグリーン」などの講演があった。
このほか古谷錬太郎氏(KHI・OB/米国旅行中のため欠席)から託された特別寄稿「カワサキ・モトクロスの始まりとその意義」を大津代表世話役が代読した。さらに出席者の中には、元ホンダのモトクロスチーム責任者の渡辺信義氏や日本二輪車文化協会会長・前AJ会長の吉田純一氏(カワサキモータースジャパン/以下KMJ・OB)などの顔もあった。
また、カワサキ・モトクロスファクトリーライダー(以下KRT)として活躍した往年の名選手▽立脇美樹夫氏▽福本敏夫氏▽鈴木?良夫氏▽塚本昭一氏(後にロードレースに転向して活躍)のほか、元KRT監督の安井隆志氏、元カワサキ・ロードレースファクトリーライダーの多田喜代一氏(KRT・OB)も特別参加した。さらに現在、モトクロス日本GPや全国各地区のブロック選手権レースで活躍する若いライダーたちもゲストとして招かれ紹介された。
なお、記念パーティーではKMJ・OBの渡部達也氏が乾杯の発声を行い、また最後の閉会にあたっての締めのあいさつでは、KRT・OBの岡部篤史氏が行った。このあと会場内で出席者全員の記念写真の撮影をして閉会となった。
二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠
代表世話人の大津信氏
大槻幸雄氏
百合草三佐雄氏
種子島経氏
出席した往年のライダーたち(KRTファクトリー)。右から、立脇美樹夫氏、岡部篤氏、藤秀信氏、福本敏夫氏、安井隆志氏(元KRT監督)、鈴木?良夫氏、多田喜代一氏、塚本昭一氏
出席者全員で乾杯。発声は渡部達也氏
出席者で記念撮影
ゲスト参加した元ホンダモトクロスチームの責任者だった渡辺信義氏
立脇美樹夫氏?と福本敏夫氏
多田喜代一氏?と塚本昭一氏
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 こんな吉田純一さんの記事もあったので・・・
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2018-11-30
二輪車業界団体で初 吉田純一氏が旭日小綬章を受章

経済産業省推薦 平成30年秋の勲章
平成30年秋の勲章において、経済産業省推薦で、全国オートバイ協同組合連合会(AJ)元会長の吉田純一氏が、二輪車業界団体では初となる旭日小綬章を受章した。11月12日午後1時から東京プリンスホテル(東京都港区)で開催された伝達式で勲章の伝達を受けたのち、皇居に参内して拝謁した。
吉田氏の今回の受章は、それまで存在していなかった全国的な二輪車販売店の集まりを、「全国オートバイ協同組合連合会」として、全国組織団体としてまとめあげてきたことなど、長年にわたるその功績をたたえたもの。経済産業省製造産業局推薦により、二輪車業界団体として初の受章となる。
伝達式では、211人の受章者(参加は197人)全員、経済産業省からは磯?仁彦経済産業副大臣および幹部らの出席のもと、受章者に勲章が手渡された。
今回の受章について、吉田氏は「自分たちで自分たちの地位向上と二輪車を取り巻く環境改善をしよう、そのために二輪車販売店の全国組織を作ろうとやってきたが、今回その働きで旭日小綬章を受章ということで、公に認めてもらえたことは嬉しい」と喜びの言葉を述べるともに、「今回の受章はひとえに福井君(福井二朗氏・元AJ専務理事、現大阪オートバイ事業協同組合専務理事)が私の片腕となって働いてくれたおかげであり、彼がいなかったらここまで来られなかったと思う。今やAJは大きな組織になることができたが、これからは次の大村直幸会長にリーダーとして頑張ってもらい、自分は側面から、特に政治面で力になっていきたい。AJは最初から政治に関わってきた。二輪車業界の人は政治的なことにあまり関心がなかったが、もしAJがなかったら、今の二輪車業界はどうなっていたかと思うことばかりだ。AJという全国組織を作って、政治的なことをやってきたことが結果、二輪車業界にとってプラスになっている」と、受章はあくまで通過点であり、まだやるべきことが数多く残っているとした。
他、今後について「日本二輪車文化協会会長として、今年初となる『日本バイクオブザイヤー』を開催するが、二輪車の安全な発展推進を目指し、二輪車を文化面でも盛り上げていきたい」と語った。

吉田純一氏(70歳)
1977年カワサキ堺販売を設立後、84年に大阪オートバイ事業協同組合を設立し理事長に就任。92年には初の二輪車販売店の全国組織・全国オートバイ組合連合会(現全国オートイ協同組合連合会)を設立し、2016年まで24年間にわたり会長として尽力。現在、大阪オートバイ事業協同組合理事長、大阪府中小企業団体中央会常任理事、オートバイ政治連盟会長、日本二輪車文化協会会長など多くの役職を兼務。
吉田氏(勲章伝達式で)
受賞者代表に勲章を伝達する磯?経済産業副大臣(左)
経済産業省推薦において、今回211人が受章(前列右から6番目が吉田氏)
伝達式のようす

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