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世田谷ボロ市で戦前の教科書を三冊買いました「虎列刺病長崎二流傳シ」「神爾寶劍海に沈めり」 

2018年12月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



世田谷ボロ市で戦前の教科書を三冊買いました。昨年買った教科書から千島列島地図を見て、>明治10年文部省地誌は「千島列島」の認識は如何に。<と記事にしました。
購入した教科書は「明治三十二年二月十五日文部省検定済 集英堂本店發賣所 新撰日本地理小學校高等科復習用」、「日本史略後編巻二」(奧付けなし)、「明治二十六年十二月二七日文部省検定済 小學校教科用書 山縣悌三郎著 帝国小史 乙號 巻之一」(奧付けなし)の三冊です。
「新撰日本地理小學校高等科復習用」の挿絵「交通之圖」から千島列島の部分を拡大してみましょう。
露西亜領「堪察加」(カムチャッカ)から千島列島の全島が描かれていて、千島全島が「固有の領土」だったことが証明されています。







「日本史略後編巻二」の「紀元二千五百十八年戌年安政五年」の文中に「是歳虎列刺病長崎二流傳シ尋テ東國二蔓延ス、江戸最劇シ、死スルモノ十萬餘人、全國此病二罹テ死亡スル者三十萬人二及フト云フ」とありますので、「日本のコレラ史」が裏付けられている文献資料です。



「山縣悌三郎著 帝国小史 乙號 巻之一」の文中に「義經之を追ひ、大に壇の浦に戰ひけるに平氏の勢全く、窮りて、清盛の妻二位尼、安徳天皇を抱き奉り、神爾寶劍を挟みて海に沈めり。天皇時に御年八歳なりき。」と書かれています。当時の文部省検定の教科書に「三種の神器」の一つが海に沈んだことを記述していることにビックリしています。

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