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たかが一人、されど一人

高校同窓会 

2018年12月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

昨日昼過ぎから銀座のホテルで高校の同窓会があり、夕方には立食パーティーがあってワインなど少し頂いたりして帰宅したが、夜大分冷え込んだようで3時近くに目が覚めたら寒くて寝付かれなかった。已む無く電気毛布を引っ張り出して敷いたら、今度は寝心地が良すぎたのだろうすっかり寝坊をしてしまった。そして今日であるが、ここに出席したら出席しなかった人のために報告書を書かなくてはならない。その報告書を書いていたらもう4:30、ブログを書く時間がないので報告書の一部を抜粋してブログに代える。我々の1期下でNHKの報道部員だった人の講演から:、当時韓国のソウル駐在だった氏がロスの支局長拝命は1981年だったらしい。特命としてロスオリンピック放映権交渉が課せられた。オリンピック組織委員会長サマランチ氏の下でロスの組織委員長に就任したのがピーター・ユベロス氏、未だ若干40そこそこの若者(旅行会社か何かをしていたらしい)、彼との折衝を通して見たアメリカビジネス社会の感想である。当時オリンピックは何処でもお荷物で、前回のカナダのモントリオールでは地元もかなりの赤字を背負った経緯がある。日本の放送権料は約5千万円だったそうだが、日本でも余りハッピーではなかったのではと推察。当時はレーガン政権下で金利が今と異なり20%近かったと言う時代だから一概に言えぬだろうが、ユベロス氏の合理的精神と相まってオリンピックが商業的に成り立ってしまう大きな一歩が記された。これに直接コミットした話だけに非常に多く考えさせられることがあった。氏がユベロス氏を最初に訪問した時驚いたのが組織員会が設置された場所や姿。みすぼらしいなんてものではなかったようだ。ところが、放送権料として吹っ掛けられた金額は225億円モントリオールの50倍近い金額。ユベロス氏は、アメリカのABCが450億円で決まったので人口が約半分の日本はその半分出せ、との理屈。一放送記者の花岡氏も参ったろうが、それでも90億円まで値切ることが出来たそうだ。兎も角ロス五輪はスタジアムや宿泊施設などほとんど新設せず、全て既存の借り物で済ませ、商業的大成功を収めたこと。そしてユベロス氏はその手腕を買われてアメリカ大リーグのコミッショナーに収まったこと等々。スポーツ界にアスリートでない人間が乗り込んで商業化することの是非はあろうが、日本のように訳も分からない政治家が乗り込んで、国民の税金を無駄に使いグチャグチャになっている現状を思うと非常に興味深かった。

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