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雑感日記

カワサキジェットスキー物語 6 

2018年12月10日 外部ブログ記事
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★ひょんなことで始めた『カワサキジェットスキー物語』だが、何となく続きそうな雰囲気になってきた。
今まで何度も繰り返し書いてきたように、ジェットスキーはカワサキにとって最初から正規の製品としてスタートしたわけではなくて、アメリカ市場向けの独特の生まれ方をしているので、当時のことを解っている人は、カワサキの中にも限られていて、特に最初は全く無関係であった『単車事業本部』には、正規の資料も残っていなくて、数人の思惑で動き出したプロジェクトなのである。
おまけに、当時は世界初の商品で、商品名として『ジェットスキー』はあったのだが、一般名がなかったので国会で『エンジン付き海洋浮遊物』と称されたりした『嘘のようなホントの話』も存在するのである。
さらに言えば、カワサキのなかにジェットスキーの遊びのプロなど存在しなかったので、社外の方たちの協力で『ジェットスキーは育っていった』のは事実だし、特に『レースの世界』では、アメリカではJJSBA、日本では当時の西武自動車関連の人たちや、ジェットスキーで遊んでた人たち、そんな人たちが、ジェットスキーを育てていったと言って過言ではないのである。
この話に火をつけた元川崎重工社長の田崎雅元さんは、当時の数少ないカワサキとしてはジェットスキーに乗れたライダーとして、私に『いろんなデーター』を供給頂いたのだが、このほかに、『福井昇くん』が当時のことを時系列に纏めてくれたりしたので、『何とか大丈夫かな?』と思ってスタートしたのである。
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★そんなところに、これはまた強力な助っ人が現れて、当時の写真など、いろいろ送って頂いているので、今回はその方『松口久美子さん』について、送って頂いた写真の一部などを使ってご紹介したいと思っている。
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彼女はジェットスキーの全日本チャンピオンである。
私は、レースの世界にはいろいろと関係があって、二輪・四輪などチャンピオンはいっぱい知ってるが、彼女の実力は飛び抜けていたのである。
ジェットスキーに乗り出したきっかけは? という私の質問に、このように答えてくれている。
井村 雅代コーチのもとオリンピック種目採用を目指しシンクロナイズドスイミングの練習に励んでいましたが、高校1年夏頃、練習に耐え切れず辞めてしまいました。
その頃、姉と一緒にジェットスキーに乗る機会があり楽しいし、試合もある。「日本人がワールドカップに出場したらしいという情報を聞きつけ、シンクロ時代を思い出し「やはり何でもいいから世界に通用する人間になりたい。世界の舞台に出てみたい」と考えジェットスキーなら可能性があるなと思い乗り始めました。
 
私に送ってくれた彼女の実績である。
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? アメリカでも、ご活躍だったようだが、国内のレースで、松口さんが優勝しなかったレースなど、私は見たことがなかったのである。
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★当時の国内の販売網や、JJSBAの協会設立などには、カワサキだけでなく、むしろ西武自動車やいろんな方々の協力があって初めて、ジェットスキーがこの世の中で『カワサキの事業』として成立していったのだと思っている。
 この写真は平成元年(1989)というので、少し軌道に乗り出したころだが、当時のジェットスキーに関わったカワサキのメンバー(後列)と 当時のJJSBA初代会長をされていた苧野豊秋さんを囲んでJJSBAの関係者とそのライダーたちなのである。
?カワサキ側のメンバーは左から。天野・武本・安藤・古谷・鶴谷一番左がどなたか? 懐かしいメンバーである。
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??男性は年間ランキング4位までの優秀選手を招待して表彰し日頃の協力に感謝した会だったようである。
左からジェットスキー協会レース運営代表の上田さん・伊藤選手・小河選手・苧野さん・松口久美子さん・前田選手・斎藤選手・レース運営レースディレクターの日高さん
 特にJJSBAの立ち上がり時点では、西武自動車時代からの上田さんと日高さんには本当にお世話になったのである。
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★こちらは1年後、JJSBA会長は2代目の石井さんになっている。
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平成2年2月21日KHI懇親会左からレース運営レースディレクターの日高さん・飛野選手・松口選手(弟)・金森選手・石井さん・天満選手・松口・伴選手レース運営代表の上田さん? との説明付きである。
 
前年度の写真に金森稔君なぜいないのかな? と思ったりしたのだが、この時には居る。 世界チャンピオン金森稔くんも若いな。    
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?世界チャンピオン金森稔くんについても、思い出いっぱいなのである。
彼を大阪の月木レーシングから、カワサキに引っ張ってきたのは、平井稔男さんである。二輪のライダーからジェットスキーに転身して一躍、実力を発揮し世界の頂点に登ったのである。
今はアメリカのKMCにいる。
これは数年前アメリカの月木さんの娘婿さんがやってたお鮨屋さんでの私と金森君である。
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 この時代、もう一人忘れてはいけない人がいる。
 大南勝也さん、今もPWCの業界に関わっているとは思うが、カワサキも大いにお世話になったのである。
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 これは、松口久美子さんがアメリカにデビューしたころ、繋いでくれたのが大南勝也さんだったようである。
 こんなKMCでの写真も、松口さんが送ってくれたのである。
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 大南勝也さんと私のツーショット、こんな写真もある。
 『小島松久・吉村太一さんのマウンテンライダース50周年記念パーテイー』に招かれた時に偶然お会いしたのである。
  私の80歳の誕生日 なぜ覚えているのか?
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 誰かが『私の80歳の誕生日』と言ってくれたようで、太一ちゃんが気を遣ってくれたのである。
 小島松久さんから、壇上でこんな花束を頂いたのである。
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 ★特に、ジェットスキーには関係はないのだが、いろんな人たちと繋がって、そんな人たちのお蔭で『今のカワサキがある』ことを忘れてはいけないと思うのである。
 特にジェットスキーは、いまどんあ状況なのか、詳しいことは解っていないのだが、こんな物語をアップできるのも、昔の仲間たちがいろいろと応援してくれるので、何とか昔を思い出すことができているのである。
 カワサキのジェットスキーの創生期の中心になった人は、何と言っても苧野豊秋さんと鶴谷将俊さんである。
 松口久美子さんが当時の貴重な写真を送って頂いたので、いろんなことが思い出せたのである。
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★ 突然、こんな写真だが、Facebook の私の記事に、突然『いいね』を下さった。
  トモダチ申請したら、すぐ繋がったのである。
  ひょっとしたら、ジェットスキー界で有名人かも知れない? 
  Brenda Burns Chambers さん、 松口久美子さんとも確か、繋がっていたのである。
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?  Brenda Burns Chambers さん
  
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  次回は、松口さんが写真を送って下さったので、
  88年のソウルオリンピック開会式に参加した時のお話などをと思っている。
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