メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

古代〜大和政権誕生(1) 

2018年12月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



日本国紀(百田尚樹)

 ☆「最強の日本史」(著者八幡和郎氏)を読み、大変興味を感じブログにも記載しました
 ☆最近、百田尚樹氏の「日本国紀」が発売されました
 *歴史家の書いた本と異なり、百田氏は少ない資料から判断して結論を導き出しています
 *大変分かり易い興味を抱いた本なので、ブログにシリーズで記載します
 ☆最強の日本史同様、日本国紀は『目から鱗が落ちる』本です

縄文時代年代と民族
 ☆1万〜2万年前の日本列島は大陸と地続きの時期があった
 ☆朝鮮半島やカムチャツカ半島経由で、日本に多くの動物とともに人間もやってきた
 *南方からも海を渡ってやつてきた
 ☆国家が誕生する以前の時代は、縄文時代と呼ばれる
 ☆縄文人はそれらの種々な人々が何代にもわたつて混血しできあがつた民族である
 ☆縄文時代は1万3千年前から約2,300年前まで続いたとされている
 ☆紀元前後、再び大陸から朝鮮半島などから、縄文人とは異なる人種がやってきて、縄文人との混血が進んだ
 ☆日本人は他国には見られない独特の文化や言語を持つ個性的な民族となっていく
縄文時代の人々の生活と文化
 ☆採取・狩猟・漁撈が主なもの本格的な農耕や牧畜は行なわれていなかった
 ☆彼らはおもに血族同士で、近くに川や湖がある小高い丘に竪穴住居を作って暮らしていた
 ☆人々の間に階級などはなかったと考えられる
 ☆当時の世界では、日本の縄文時代の文明よりもはるかに高度な文明が誕生していた
 ☆縄文時代の人々の平均寿命は推定15歳位(乳幼児の死亡率が高いため)
弥生時代(紀元前3世紀〜3世紀)
 ☆北九州では水稲耕作が始まり、青銅や鉄といった金属の使用が始まった
 ☆これらの文化は大陸から朝鮮半島などを経由してやつてきた人々が伝えた
 *その頃から九州地方と大陸との交易はあった
 ☆中国地域では、圧倒的に高度な文明があり、そこではすでに鉄器が使われていた
 ☆日本にはほぼ同時に青銅器と鉄器の技術が入ってきた
 *日本では、青銅器時代と鉄器時代の境がない
 ☆日本では、青銅器は儀礼に用いられたり(銅鐸など)、宝飾として使われた
 *実用的武器や鎌には鉄が用いられた
弥生時代の水稲耕作は、日本を大きく変えた
 ☆人々は食料を大量に獲得することができるようになり人口が増え社会は発展した
 ☆『魏志』には、卑弥呼が魏に朝貢したのは、239年とある
 *邪馬台国は、中国の魏や晋と交易を行なうほどの国になっていた
 ☆邪馬台国がどこにあったのかは今も不明である
 *遺跡や遺物から畿内説が有力だが、九州説をとる学者もいる
 ☆百田氏は、いくつかの理由で、邪馬台国は、九州にあったのではないかと考える
 ☆卑弥呼は『魏志』「倭人伝」に「鬼道を使って人を惑わす」と書かれている
 *一種のシャーマン(巫女)であったと考えられる
 *「日巫女」であつたかもしれない
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本国紀』




日本国紀(百田尚樹)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ