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占領・高度成長・バブル崩壊(5) 

2018年11月07日 外部ブログ記事
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日本の高度成長とバブルの崩壊

日本の高度成長が自由世界を守った
 ☆1960年はアフリカの年といわれ、アメリカでは公民権運動が盛り上がり始めた
 ☆岸信介のあとの首相には池田勇人が首相になる
 *池田は「貧乏人は麦を食え」等の舌禍事件の常連
 *池田は、総理になると「寛容と忍耐の政治」を看板に低姿勢に徹した
 *「所得倍増計画」を目玉にした
 *政治・軍事大国への途を選ばず、貿易や資本の自由化を進めた
 ☆アメリカは、アジアで日本が憲法を改正することを望んだ
 *同盟国として軍事的負担をしてくれることが好ましかった
 *安保闘争の盛り上がりで、それが日本の保守政権を揺るがすことを理解した
 ☆日本は、経済発展し西側陣営の主要先進国となる
 ☆日本の成功モデルは、東南アジアなどで模倣され、台湾や韓国でも成功した
 ☆世界革命による成功しかないという社会主義の主張を陳腐化させた
世界的な学園紛争は、前近代的な社会習慣を一掃した
 ☆泥沼化しあベトナム戦争による、ベトナム反戦の波
 *アメリカ民主主義を揺るがせた
 *人種差別の撤廃、社会福祉の充実、環境対策の充実などを促した
 ☆長期的には、資本主義への信頼を増進しました
日本では、所得倍増計画成功と貿易・資本自由化が成功
 ☆日本は、驚異的な高度経済成長に成功した
 ☆外交では、日韓国交回復、沖縄返還という大成功があった
 ☆佐藤首相は、繊維問題の約束を迅速に実施しなかった
 *ニクソン政権は、日本への不信感を増大させる
 *キツシンジヤー特別補佐官が訪中して周恩来首相と会談
 *ニクソン訪中に合意したことを発表して日本を困らせた
 ☆佐藤内閣は支持率を下げ、田中角栄が政権につく
 *田中角栄は訪中し、国民政府との断交を受け入れて、日中国交回復した
 *キツシンジャーは、怒ったがお互いさまでした
 *日米関係の最も悪かった時代
フオード大統領は、社会主義国を嫌い日本を大事にした
 ☆日本では田中角栄が、列島改造やオイル・ショックによる狂乱物価
 *田中首相は、田中金脈事件の発覚、東南アジアでの反日デモ、健康悪化で辞任
 ☆田中の列島改造は方向としては妥当なものでした
 *景気過熱局面で長年の夢を前のめりに実現しようとして失敗した
 ☆フォード大統領は、激しいデモに見舞われることもなく初訪日
 ☆昭和天皇がかねてより希望だった訪米を実現し
ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代からバブルの悪夢ヘ
 ☆ドルを基軸通貨にした経済体制の破綻
 ☆金融も国際管理が大事、貿易もWTO(世界貿易機関)という枠組みで自由貿易が前進
 ☆日本も、多国間交渉という世界のなかで生きている
 ☆三木武夫首相は、ロッキード事件の追及ではしゃぎすぎた
 *自民党内から反発され、福田赳夫が首相に就任
 ☆福田はマニラで「福田ドクトリン」を発表
 ?軍事大国とならず東南アジアと世界の平和と繁栄に貢献する
 ?経済力にものをいわせるのでなく心と心の触れあうような信頼関係を醸成する
 ?ASEANの連帯と強靱性強化に協力する
 ☆福田首相を選挙で破り、大平正方氏が首相になる
 *日本人嫌いといわれるキッシンジヤーも、大平を例外的に高い評価をしている
 ☆このころはまさにジャパン・アズ・ナンバーワンの時代でした
 ☆戦後、ヨーロッパ諸国では社会保障の充実を図り「大きな政府」になった
 ☆日本では家族や地域による相互扶助に頼り遅れていました
 ☆大平首相がもう少し長くやっていたら日本のバブル生成と崩壊はなかったでしょう
 *大平は政争の中で急死、その葬儀にはカーター大統領も列席した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『最強の日本史』











日本の高度成長とバブルの崩壊(ネットより画像引用)

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