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密教を初めて日本にもたらしたのは最澄(10) 

2018年10月19日 外部ブログ記事
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比叡山延暦寺と石清水八幡宮の役割(1)

京都の霊的守護システム
 ☆鬼門という考え方は、陰陽道が元になっている
 *陰陽道には、中神、王祖神、大将軍等、独特な神々が登場する
 ☆「鬼門・裏鬼門」とは、鬼の出入りする方角で忌み嫌われている
 ☆京都の中心地(御所)の表鬼門(東北)と裏鬼門(南西)に寺社が配置された
 ☆『易経』で、東北と南西は、陰と陽の転換点を示す不安定な方角として重要視された
 *「鬼門」「裏鬼門」として恐れられた
 ☆日本の建築でも、東北と南西の鬼門軸を避けることが理想的なあり方です
 *気温や採光の関係から
 *京都の鬼門に比叡山延暦寺
 *京都の裏鬼門に石清水八幡宮がある
京都の「鬼門除け」
 ☆京都では、「鬼門除け」が熱心に行われてきた
 ☆鬼門除きには、多くの対策がある
 *鬼門の方角に、柊や桃など魔を除ける力があるとされる木を植えたり小祠を祀る
 ☆京都の鬼門に、天台宗の総本山比叡山延暦寺が位置する
 *比叡山延暦寺が鬼門を意識して建立されたのではない
密教を初めて日本にもたらしたのは最澄
 ☆天台宗の方が、実は南都六宗よりも中国では古い
 ☆一時衰え、最澄の時代には中国で復興が進んでいた
 ☆最澄は、野心的な人物で、天台宗の教えならば、南都六宗に対抗できると考えた
 ☆最澄は、遣唐使船に乗って唐に渡り、最新の天台教学を、天台山で学ぶ
 *密教も十分な形ではなかったが学ぶ
 ☆最澄は、それをはじめて日本にもたらした
 ☆空海も、同時に唐に渡ったが、帰国は最澄よりも遅かった
 ☆日本で最初の密教の灌頂を行ったのは、空海ではなく最澄だった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『京都がなぜいちばんなのか』『ひかりの輪』




比叡山延暦寺と石清水八幡宮の役割(1)
(『京都がなぜいちばんなのか』『ひかりの輪』記事他より画像引用)

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