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京都がなぜいちばんなのか(6) 

2018年10月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



銀はなくても銀閣寺(1)

京都には、銅板葺の銅閣も存在する
 ☆金閣と銀閣は、後に生まれた俗称で、銀閣は銅閣をめざして建設された
 ☆銅閣は、金閣・銀閣とは異なり、境内には広い池がない
 *建物も、禅宗の影響が色濃い金閣や銀閣とは根本的に違う
銀閣に銀は貼られていない
 ☆X線元素分析などの結果から、銀閣に銀は確認されなかった
銀閣の造られた目的
 ☆銀閣は、金閣と同様に、そこに登って庭を眺めるための建物
 ☆金閣と銀閣は、三層と二層の違いがあるが、最上層から上の部分は似ている
 ☆金閣が北山、銀閣は東山にあり、各々の場所で借景を楽しめる
 *北山は京都盆地の北側にある山地(鞍馬山、貴船山、衣笠山など)
 *東山は京都市の東を限る山々(北の如意ヶ嶽から南の稲荷山まで)
銀閣は、応仁の乱後に建てられた
 ☆応仁の乱終了五年後に、銀閣建設を義政が着手
 ☆義政は、金閣に匹敵する建物を建てたいとの強い意欲はあった
 *資金や労力の調達はうまくいかなかった
 *銀閣寺の錦鏡池は、金閣寺の鏡湖池に比べてはるかに狭い
 ☆銀閣寺の庭で目に付くのは、「銀沙灘」「向月台」
 *銀沙灘や向月台は、18世紀の終わりに造られた
 *銀沙灘(砂で表現された灘、急流)
 *向月台(砂を円錐台の形で高さ1.8Mまで盛り上げたもの)
「銀沙灘」の存在が銀閣の由来
 ☆銀沙灘や向月台で用いられている白い砂
 ☆銀閣と言われだしたのは、銀沙灘が登場する江戸時代に入ってから
 ☆銀沙灘は、月の光を反射して銀色に輝く
 *そこに目を付けた人物がいて、銀閣の呼称になった
 ☆その際に、龍安寺の石庭がモデルにしたのでは
 *龍安寺の石庭でも白川砂が用いられている
 ☆龍安寺は、池があって池泉回遊式庭園になっており、参拝者を集めている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『京都がなぜいちばんなのか』












銀はなくても銀閣寺(1)
(『京都がなぜいちばんなのか』記事・ネットより画像引用)

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