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雑感日記

海を渡ったがばいばあちゃん 樋渡さんありがとうございました 

2018年10月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★樋渡啓祐さんがかって武雄市長時代に、三木市に来られた時にいお土産に頂いた『がばいばあちゃん』のTシャツである。
 なぜか、孫の門野哲也が気に入って、こんなにボロボロになるまで着続けて、今は部屋に飾られている。
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  その背中には、『人は死ぬまで夢を持て!その夢が叶わなくても、しょせん夢だから。』と書かれている。
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  孫の末弟、門野哲也が初めてアメリカに渡ったころは、背中の字が読めなかったかも知れない頃なのである。
  孫もこんなに小さかったが、
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  2007年5月のことだから、11年も前のことである。
  樋渡さんもお若くて、その時の雑感日記に次のように記しているのである。
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?この写真は、2007年5月28日に樋渡啓祐さんが三木に来られた時に、武雄市の広報の方がわざわざ撮って頂いた写真だから、樋渡啓祐さんが未だ『日本一若い市長時代』で 今のような超有名人ではない 多分まだ35.6才時代の樋渡啓祐さんなのである。ブログを始められたばかりで、Facebook など未だ世の中にはなかったころだから、お若くて当然なのである。
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★人生85年を生きてきて、沢山の方たちとお会いをしたのだが、そんな中でも樋渡啓祐さんは、私にとって特別な方なのである。
ホントに不思議なご縁で、高槻市のホームページの『こちら部長室』の中で勝手に見つけて、勝手にその意見に心酔し、勝手にブログなど始めたら、そのコメントで繋がったのだが、普通はそこまでで終わってしまうのだろうが、そこからが始まりだったのである。
『お互い気の合う人』『お互い信じあえる人』というのは、どなたも何人かはお持ちだろうと思うのだが、樋渡啓祐さんとの関係は、ホントにお互い信じあって、樋渡さんの武雄市長1年目のことだったのだが、樋渡さんの『市長ブログ』にも何度も『雑感日記さん』は登場したし、私もそれに応えて、応援ブログを何度も書いているのである。
そんなことから、三木市と武雄市も繋がって、この写真を撮った当日、樋渡さんの初めての三木市訪問だったのだが、午後は三木綜合防災センターでの見学から私はご一緒させて頂いたのである。
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 樋渡さんの武雄市長としてのご活動は、『型破り』と言うか『独走的』で『差別化』がご自身の意志で明確に推進されていたので、一躍世の注目を浴びることになるのだが、いまとなっては私が『威張れること』があるとすれば、そんな樋渡啓祐さんを、高槻の市長公室長に総務省から出向されていたいわば「無名の時代」に見つけ出して、勝手に執拗に追っかけていたのである。
最初のブログに『樋渡啓祐さんのこと』書いた時点でも、『総務省に戻られた』とばかり思っていて、『武雄市長の樋渡啓祐さん』が突然現れて、びっくりしたのである。
三木でお会いして後も、何度かお会いする機会もあったのだが、その後は特に『何をした』ということもないのだが、私のブログのカテゴリーの中に、今では『素浪人&樋渡啓祐氏』とネーミングは変わっているが、かっては『武雄市長 &樋渡啓祐氏』だったのである。


★孫も今は17歳、アメリカMLBのプロサッカー選手を目指す夢を追っかけている。
 その夢は叶わなくても、しょせん夢なのだが、 その可能性も見えかけている昨今なのである。
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? いまは5か国の人たちがいる国際チームでもある、アメリカのSoccer Development Accademy公認のStrikersにいる。
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   孫と日本人のチームメート.。
   そのチームで孫はキャプテンをしているのだが、来年の大学推薦も決まって『孫、門野哲也の夢』はその実現に向かっているとも言えるのである。

  樋渡さん、本当にありがとうございました。
  
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