メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

葵から菊へ

「世田谷・九条の会」ニュースに寄稿 『用賀二丁目「東條英機自宅跡」は第一級の戦争遺跡』 

2018年09月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「世田谷・九条の会」ニュース?50号に寄稿しました。
・・・・・・・・・・・・・・
用賀二丁目「東條英機自宅跡」は第一級の戦争遺跡
長谷川順一
 戦争遺跡には、加害・被害・抵抗の遺跡、遺構、遺物がある。
 世田谷区内の戦争遺跡を開眼させてくれたのは、転居して間もなく世田谷区広報紙「せたがや」に「2020年東京五輪の馬術競技会場に予定されている馬事公苑は、戦前『輓馬部隊』がありました。」という保坂展人区長の一文であった。

 早速、馬事公苑、日本競馬会、馬の博物館に照会をしたところ「輓馬機動隊」事務所が馬事公苑に、国士舘大学厩舎、専修大学松原厩舎も「輓馬部隊」であった。

 その後、北沢川文化遺産保存の会、世田谷区教育委員会の戦争遺跡ツアーや昭和女子大学堀内正昭教授「近衛騎兵大隊射撃場の考察」の講座に参加した。更に「世田谷区近・現代史」から陸軍駒沢練兵場、駒場練兵場、衛戍第二病院、高射砲陣地、羽根木町東京防衛軍第二警備旅団第十大隊、米軍「B29」「艦載機」の墜落現場、三宿町測機舎、烏山ウテナ化粧品の軍需工場等々が明らかになった。陸上自衛隊三宿基地内の「彰古館」には、戦前新宿区戸山にあった陸軍軍医学校の文献・手術器具類、広島原爆放射能調査資料、第731部隊長石井四郎が開発した濾水器が公開展示されている。同館には2015年4月に故高岡岑郷さんら代田九条の会の方々を案内している。

 1945年9月11日連合国MPがA級戦犯容疑者第一号として逮捕のためにジープで用賀二丁目東條英機の私邸に乗り付けた。東條は自らの胸を撃って拳銃自殺を図るも失敗する。極東軍事国際法廷(東京裁判)の判決が70年前の11月11日にあり、12月23日皇太子(現天皇)の誕生日に絞首台の露と消えた。世田谷区が建立した「東條英機自宅跡」の小さな石碑があるだけだが、アジア・太平洋戦争の加害の歴史を知るための第一級の戦跡だと考えている。

 桜上水在住の海軍特攻兵器「回天」搭乗員だった田中直俊氏と知古になり、下馬四丁目「特攻観音堂」の存在を知った。2015年秋の彼岸の日に「特攻平和観音法要」に初めての参加した。前日本会議議長三好達氏と「来賓席」に並んでいた保坂区長が挨拶をした。観音堂建立経緯や同奉賛会の趣旨に見られる“特攻を美化”し、大東亜戦争と書いてある碑文等には歴史認識について大きな違和感がある。トランペット吹奏、そして「空の神兵」「若鷲の歌」「海ゆかば」の全員合唱が続く情景は、靖国神社境内を彷彿させる。「世田谷区平和都市宣言」と「平和資料館建設の趣旨」から見ても相容れないと考える。よって、区長が参列することは「先例」になっているのかも知れないが、絶対に賛成することは出来ない。「区長挨拶文」の情報開示請求をしたが公文書として保存されていなかった。

 世田谷区は、東京都内の自治体で初めてとなる平和専門の博物館・資料館として「平和資料館」を建設したことを評価しているが、「文化平和月間」を34年間成功させている皆様方々が、さらに展示内容を充実させるためにご尽力下さることを心から期待している。
東京の戦争遺跡を歩く会 千歳台在住

・・・・・・・・・・・・・・






2015年9月23日世田谷区下馬の特攻観音にて

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ