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<心に成功の炎を>104/略年譜B 

2018年08月06日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

一九二四年(大正十三)四十八歳
 山本英輔海軍大将(当時海軍大学校長 海軍少将)の紹介により小松侯爵(元北白川宮照久王)入会。同侯の推挙により 東久邇 北白川 竹田の三内親王殿下に数回にわたり進講。
 この頃の受講者には 咢堂尾崎行雄氏(元法相) 後藤新平(内相 満鉄総裁)浅野総一郎氏(浅野セメント創業者)等 錚々たる人物が名をつらねている。
 同年十二月 大阪関西本部解説

一九二五年(大正十四)四十九歳
 大阪放送局より「病と病気」をラジオ放送。これは 同局放送開始後わずか八日目の記念に残る講演であった。(注 わが国で初めて東京愛宕山より仮ラジオ放送されたんは同年三月二二日)

 以来 京都をはじめ 名古屋 神戸 小樽に次々と支部を開設。一九四〇年(昭和十五)一月「統一哲医学会」を「天風会」と改称。終戦にいたるまで活動を全国的に展開するも 一九四五年(昭和二十)三月 特別強制疎開により東京本部建物が取り壊される。
 一九四六年(昭和二十一)十月 芝区虎の門ビルで戦後初めての講習会を開催。以後 焼跡各所に会場を求めながら 毎月講習会を実施。

一九四七年(昭和二十二)十月 七十一歳
 アイケルバーガー中将の要請によりGHQ(占領軍総司令部)幹部約二百五十名を対象に 当時有楽町にあった毎日新聞ホールで三日間講演する。たまたま来日中で同席していたロックフェラー(三世)氏に非常な感動を与える。
 以来 同氏より繰り返し米国に招聘されたが 信念するところにより一度もこれに応じなかった。
 これ以降 再び活動を全国的に展開するようになる。

一九六二年(昭和三十七)四月 八十六歳
 国より公益性が認められ「財団法人天風会」となる。

一九六八年(昭和四十三)
 四月 護国寺内に天風会館落成。
 十二月一日 帰霊 享年九十二歳
 直接薫陶を受けた者 全国に10万人を数える。そのなかには 皇族方をはじめ 大臣 事業家 学者 人間国宝や文化勲章に叙された者 オリンピック金メダリストから俳優 小説家 サラリーマン 市井の人々にいたるまで実に多様をきわめる。
 いっさい宣伝を行わず 会員はすべて先輩会員の紹介によるものであるが 一九八八年(昭和六十三)創立七十周年を迎え 会員数は累計百万人を超えつつある。

〜略年譜 以上〜

ー続くー

<天風門下の主な人々>



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