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日本にもあった?謎の巨石文明 

2018年07月26日 外部ブログ記事
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飛鳥“石の女帝”(皇極・斉明天皇)

飛鳥の巨石はペルシャ人が造っていた
 ☆明日香の奇巨石のひとつ酒船石
 ☆キツネが踊る舞台と伝えられた石舞台
 ☆傾くと不作になるといわれたマラ石
 ☆10トンを超える亀石
 ☆ペルシャ人の顔をした石造物
飛鳥の巨石は女帝の不老不死のために造られた
 ☆飛鳥の巨石群を造った人物として、注目されているのが女帝・斉明天皇
 ☆斉明天皇の陵墓は、石造の八角形ピラミッドだった!?
 ☆総重量550トンの石を運ぶため動員された人数実に2万人!
 ☆80トンの巨石をまるごと使った女帝の死後のすみか!
 ☆中国道教の思想から造られたのでは?
飛鳥の女性(斉明天皇)はアジアの強国を目指した
 ☆彼女の時代、東アジア情勢は緊迫しており、朝鮮半島の百済の国が滅亡寸前でした
 ☆その百済の遺跡では、飛鳥とそっくりな石の都が出現!
 ☆女帝が石の都と巨石を用いて催したのは盛大なパーティーだったのではないか
皇極天皇(第35代)の時代
 ☆舒明天皇の皇后で3人の子供を生む
 (中大兄皇子(天智天皇)・間人皇女(孝徳天皇の皇后)・大海人皇子(天武天皇))
 ☆舒明天皇が崩御し、皇后は皇極天皇としての即位する
 ☆百済の使節らを饗応し、余興で相撲をとらせたりした
 ☆百済大寺の建立と船舶の建造、宮室を造ることを命じる
斉明天皇(重祚第37代)の時代
 ☆孝徳天皇の崩御後、62歳のとき、飛鳥板蓋宮で再び皇位に就いた(史上初の重祚)
 ☆政治の実権は、皇太子の中大兄皇子が執った
 ☆斉明天皇元年には、高句麗、百済、新羅が使を遣わして朝貢してきた
 (蝦夷と隼人も衆を率いて内属し朝献した)
斉明天皇の対外政策
 ☆朝鮮半島の諸国と使者を交換し、唐にも使者を遣わした。
 ☆蝦夷平定(三度にわたって阿倍比羅夫を海路の遠征に送り蝦夷地を平定した)
 ☆朝鮮半島への軍事介入
 *百済が唐と新羅によって滅ぼされた
 *百済の滅亡と遺民の抗戦を知ると、人質として日本に滞在していた百済王子豊璋を百済に送った
 *百済を援けるため、筑紫の朝倉宮に遷幸し戦争に備えたが、遠征の軍が発する前に当地にて崩御
 *日本軍は朝鮮半島南部に上陸し、白村江の戦いを戦ったが、唐と新羅の連合軍に敗北した
 ☆皇極天皇のこれらの動向、神功皇后の三韓征伐説話のモデルになったのではないかと推測
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、NHK歴史秘話ヒストリア、BSTBS「諸説あり」、WIKIPEDIA


















日本にもあった?謎の巨石文明(BSTBS「諸説あり」テレビ画面より画像引用)

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