メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

仏教政策の集大成、江戸時代(2) 

2018年07月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



領民の戸籍を寺が管理する寺請制度が、葬式仏教の元祖

キリスト教徒の迫害と最後の宗教戦争
 ☆キリスト教(カトリック)は西国を中心に大衆にまで信徒を獲得する
 (戦国時代は、日本史上最もキリスト教が受け入れられた時代)
 ☆徳川家康は、初期にはキリスト教に対して寛容な態度で臨んでいた
 ☆家康は、1612年にキリスト教を禁止、キリシタン国外追放し弾圧を加えた
 (オランダ船も日本に来航していた)
 ☆家康は、オランダはキリスト教の布教をしないことを前提とした外交交渉を行う
 (家康は、オランダと中国(清)にのみに長崎の出島で貿易を許可する)
 ☆家康も、信長や秀吉と同様にキリスト教国を貿易相手としなかった
 ☆豊臣家滅亡を達成した幕府は、本格的なキリスト教徒弾圧に乗り出す
 (カトリックの聖職者や中心的な信徒の処刑が始まりまる)
 (「踏絵」や「密告」によるキリスト教徒摘発・弾圧も過酷なものとなる)
 ☆それが領民の峰起を呼び島原の乱が勃発
葬式仏教の大元は寺請制度
 ☆江戸幕府は宗教政策の総仕上げに入り、その中心にあったのが寺請制度
 ☆江戸幕府は行政機関として寺社奉行を置き、寺院の活動を監視しようとした
 ☆寺院を監視するために、宗派ごとに寺院法度を出す
 (各宗派の本山に傘下の末寺を管理させるしくみ)
 ☆幕府は総本山に寺領を寄進し、宗派経営の経済基盤を保証する
 (本山に、教義や戒律が守られるよう厳しい末寺統制を要求する)
 ☆幕藩体制に脅威を与えるような宗教の出現を抑えることが可能になった
寺院ごとの信徒を檀家として登録させた
 ☆寺の宗門帳に信者=檀家を登録させた
 (檀家のなかにキリシタンがいないことを保証する機能をもたせた)
 ☆寺請制度は、すべての領民がどこかの仏教寺院の檀家になることを保証した
 ☆寺院は積極的に布教を行わなくても檀家が減らない
 ☆法事、葬式を行ういお布施収入が安定して入ってくるようになった
 ☆大寺院の僧侶は、飛鳥・奈良時代から国家公務員
 (鎮護国家を行う仕事を国から与えられていて、生活が保障された)
 ☆飛鳥・奈良時代から里山の末寺は大寺院と経済基盤は異なる
 (江戸時代になると、信者からのお布施を収入基盤となる)
 (国民の戸籍を管理する地方公共団体のような存在となった)
 ☆幕府は宗旨替えを禁じたので、布教活動が低調になるのは当然
 ☆寺と檀家の関係は徳川幕府の崩壊以降も存続し、今日の日本に根強く残っている
 ☆お盆の法事や葬式を出すときにのみ仏教寺院に頼る
 (家単位で生まれながらに宗教が決まるという日本人の宗教)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』


領民の戸籍を寺が管理する寺請制度が、葬式仏教の元祖
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ