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武家に愛された新仏教禅宗(1) 

2018年07月15日 外部ブログ記事
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臨済宗は禅問答、曹洞宗は座禅で悟りをめざす

達磨はインドから中国に渡り、少林寺で壁に向かって座禅を組む
 ☆「面壁九年」の修行を行い、禅宗の開祖となる
 ☆禅は菩提達磨により中国に伝わり5世紀頃禅宗が確立しました
 ☆禅の基本的な考え方
 (釈迦が瞑想により悟りを得たように「六波羅密の禅定」の修行が仏教にあった)
 ☆達磨の死後宗派分かれた
 ☆日本に伝わった禅宗は臨済宗と曹洞宗
栄西の開いた臨済宗(一休さんら)
 ☆日本に最初に禅をもたらしたのは、中国に渡った栄西です
 ☆臨済宗を学んだ栄西は帰国後、鎌倉幕府の保護を受ける
 ☆第二代将軍源頼家の援助により、京都に本山建仁寺を得る
 ☆幕府や朝廷の保護で、臨済宗系の寺院は、鎌倉期、室町期に大きく発展
 ☆「鎌倉五山」(鎌倉幕府が中国の宋にならつて制定した禅寺寺院格付制度)
 ☆「京都五山」(室町幕府のもとで制定され政権の保護下に置かれた)
 ☆京都の臨済宗各派寺院は、北山文化。東山文化という禅宗文化を彩っていく
 ☆作庭で著名な夢窓疎石、一休宗純どいつた高僧を輩出する
 ☆栄西は禅宗とともに中国から喫茶の習慣を持ち帰る
 (後世に茶道として発展した)
道元の曹洞宗(越前が拠点)
 ☆禅のもうひとつの流れ曹洞宗が道元により伝えられた
 ☆道元は比叡山や建仁寺にも学び、宋に渡り曹洞宗の印可を受け帰国
 ☆帰国後、比叡山をはじめとする旧仏教勢力の圧力を受けた道元
 ☆京都を避け、越前(福井県)に永平寺を開きます
 ☆曹洞宗は豪族や武士、庶民の帰依を受けて地方へ浸透
 (臨済宗は、中央権力者階級を中心に支持者を得た)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』


臨済宗は禅問答、曹洞宗は座禅で悟りをめざす
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)

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