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平成の虚無僧一路の日記

「尺八を尻で吹く」 

2018年05月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「名古屋叢書」第七巻 地理編(2) p.19
「金鱗九十九廼塵」 巻第26 保寂堂楳渚 著
【久屋町】  京町通より杉ノ町筋の間、凡そ2町  旧名を干物町という
家数68軒 
東照宮御祭礼 警固 籠輿丁15人
▲清洲越輩 絶家 白木屋伝治郎 
高祖小崎伝治郎と申す者、慶長16年 清洲より当 久屋町へ引越。
安永3 (1774) まで七代相続。
この7代目「伝治」は、ある時、普化僧 笛を吹いて門付けに来たりけるに、
これを聞いて言ふようは、「さてさて、拙(つたな)き音色かな。さは尻にても
吹かるべし」と 独りごちに嘲笑すれば、かの普化僧 門口に立ちながら、
これを耳にとどめて、内へつと入り、伝治に向かい大いに腹立て、
「いかに 主、尻にて吹けるものならば吹いてみせられよ」と、持ちたる
尺八を投げつければ、伝治 「いと心易し、望みならば吹いて聞かせん」と、
尺八 おっとり逆さまになし、笛の尻より 鶴の巣篭もり、或いは六段の
秘事など 吹いて聞かせれば、普化僧は 誠に肝を冷やし、初めの言葉にも
似気なく、舌ぶるひしてぞ 逃げ失せしとぞ。
元禄12年(1699)6月 ?御改めに付き書き上げの記」
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実は、「尺八を逆さにして管尻で吹いた」という話は、江戸初期にすでに
みられる。三浦浄心の「慶長見聞録」に「大鳥逸平の話」として載っている。
七代目「伝治」は、この「慶長見聞録」を読んでいたと思われる。
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